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みんなのレッスンnote*別の選択肢②*
・前回のつづきmemo
アレクサンダー・テクニークでの
教育や学習、教師像は
わたしが今まで捉えてきたものと異なります。
わたしはレッスンやクラスを受けて学んできて、それはだんだんと分かってきていたし、そのことが魅力でもあったのだけど、
自分が教えたり「教師」になることには抵抗がありました。
それは今まで捉えてきたものに
囚われるからです。
教育や学習、教師ということを思うと
ぴゅっと今まのイメージに囚われてしまう。
それこそ“習慣的反応”ですね。
アレクサンダー・テクニークにおいての
「教える」ことは
教師が“手やことば”で、相手(生徒)へ
「伝えることで手助けする」ともいえます。
教師と生徒は
立場(立ち位置)や役割は異なるけれど、
共に探求する上で「対等」にあります。
それは学びを深めていきます〜
わたしは
今ある日本の学校の教育や学習・教師像
を否定してはいない。
ただ、アレクサンダー・テクニークにおいての教育や学習・教師像の在り方に触れたことでわたしは大きく救われました。
別の選択肢もあることをおおくの人に知ってもらいたいし、提案していきたい。
これが「正しい」と証明したい訳でもない。
(*いつでも「正しさ」を突きすすむのは危険ですし、正解はありません)
今わたしは意識的に選択しているだけです。
再教育というよりは
あたらしい教育や学習・教師像を
模索していきたいなと思います。
そう思えてから、とても楽になりました〜
2023/3/27/mayumi@kyoto
ひつようなひとにもとどきますように :))