わたしのレッスンノート*存在⑵*
・お話のつづき
イキイキと今ここを生きる。
アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を
分かち合いたく、綴っています。
わたしの“重さ”が
足裏へ落ちていくと思うと
わたしは先にこうなるだろうと
目的をもって、思い続けた訳では
ありませんでしたが、
今までに何が起こってきたかというと…
わたしの場合
アレクサンダー・テクニークの
あたま・首・胴体(あたま・脊椎)の関係性を思うだけでは、得られなかったことでした。
始まりは、あたまと首からですが、
ほぼ同時に股関節からのつながる足・脚も
わたしなのです。(あたりまえか)
今回、あらたに“存在”ということまで
思うとは興味深いです。
人に触れる・触れられる
(ハンズオン・タッチ)とき
わたしは、相手か自分か
分からなくなる瞬間があるのですが…
わたしに入り込むことも
相手に引っぱられることもなく
“今ここに存在する”ことで、
相手にも伝わるということなのか。
お互いに“触れ合う”ことで
じっけん、じっせん〜*
17/4/2022,mayumi@kyoto
ひつようなひとにもとどきますように :)