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伝えるおもてなし。

私たちはオーダーメイドというかたちでものづくり(オーダーメイドの結婚指輪事業)に取り組んでいます。

オーダーメイドという取り組み方は、(ものづくりがきちんとできるということを前提として、)お客様のニーズに柔軟に対応した営業ができる意味で、非常によい事業スタイルに思えるのですが、実際のところはそう簡単にはいかないところが多々あります。

オーダーメイドで万能にお客様のニーズに応えられれば、それだけお客様から選ばれる確率も上がる(=売上につながる)はずなのにそうならない。

いくつかの要因がありますが、あるべきコミュニケーションの取り方が理解できてないということが往々にしてあります。

前提に対する共通認識の重要性

惚れ惚れするように腕の立つ職人さんや工房の方々とお話していてとよく出てくるのが、「どういうものが欲しいか、だいたい言ってくれたらちゃんと作りますよ」という言葉です。

オーダーメイドの事業でしっかりと軌道に乗せるのが思いのほか難しいという理由のひとつが、この言葉に象徴されるつくり手(提供者側)の姿勢にあります。

お客様が何を欲しいかわかりさえすれば、それに応える技術はある。しかもお客様は目の前にいる。

けれどもそのお客様は「うーん、どんなものがいいのかなあ」とモジモジ。

「うーん、どうしましょうかね...」

少し大げさに書きましたが、こんなシチュエーションが往々にしてあります。

そう、ものづくりにおいては実制作に移る手前の段階で、密なコミュニケーションが取れていることが大変重要になります。

お客様とつくり手との間で、どんなものがいいと思うのか、何を大事にしているのか、などなど前提となる与件に対する共通認識をつくる技術が、実際の制作技術と同じくらい重要なのですが、制作技術に対して自信があればあるほどその部分に目がいかないという方が多いのです。

伝えることの重要性

前にも紹介しましたが、星野リゾートの星野社長の著書などから色々と示唆を受けていて、この前提に対する共通認識という考え方も星野社長のインタビュー記事からインスパイヤされたものです。

星野 投資家のカンファレンスでコーネル大学の同級生に会いました。そのときに「君の国には〝おもてなし〞という武器があるそうだが、それはどういうものか?」と質問されました。私はあまり深く考えず、「気遣い、先回り、顧客への心遣いだよ」と説明しました。すると彼は「そんなことか! それをやっていてはダメだ」と真剣に語るのです。
川原 世界基準かつ、個人の能力に依存しない「おもてなし」とは、どのようなものなのでしょう?
星野 それは、提供側のこだわりを顧客側に伝えることです。主客に上下があってはならず、主客対等が基本にあります。

私たちもオーダーメイドの結婚指輪づくりにおいて試行錯誤を繰り返してきましたが、自分たちの強みであるオーダーメイドの対応力(ものづくりの力)を活かすためのファーストステップが、提供側のこだわりを顧客側に伝える、というだと感じています。

誰もが当たり前だろと思う、お客様のニーズやウォンツに基づくものづくり、おもてなしをするためには、まずサービス提供者、事業者側が自分たちは何者か、何ができるのかをきちんと伝えてあげなければならないと思います。

それは同時にその道のプロの視点で、その世界において何が素晴らしいことなのかという物差しを、お客様に対して提供する行為にもつながります。

その物差しや世界観を手前で共有しておくことで、その先のものづくりやサービスの価値をお客様側も十分に理解することができる。すなわち、おもてなしをおもてなしとして機能させるための責任、ということであり、それは星野社長がいう「主客対等」という関係性にもつながるかと思います。

日本は本当におもてなしの国なのか?

滝クリのオリンピックプレゼンに代表されるように、日本はおもてなしの国だと言われます。個人的感覚としても、お店のスタッフのちょっとした心遣いですとか、相手を慮って親切に振る舞うですとか、前提となるおもてなしの素地が国民性の中にあるんだと感じます。(ときどき海外に行ったりすると、そのことをさらに強く感じる方も少なくないと思います。)

ただ昔から言われるように、日本人と日本社会が、お互いに価値観や文化を共有しているハイコンテクスト文化であることを前提に成り立っているケースが多いように思います。

日本の文化性を表す中で時折用いられる、阿吽の呼吸、だとか、秘すれば花、というように昔からの言い回しであったり、最近ではまさしく空気を読むというような概念ともつながりますが、これらは共通の価値基準が前提にあるからこそ成り立つものです。

私たちは大抵の場合、この共通基準を下敷きに生活しているので、この下敷き部分をあえて言葉にするということに不慣れで、どちらかというと苦痛すら感じる行為になります。

私たちの取り組みの中でも、実際に現場に浸透させるのに苦労したことの一つが、スタッフ一人一人が自分たちがどういう考えでサービスを提供しているか、自分たちが提供できる価値は何なのか、といったことを言葉にして最初にきちんとお客様にお伝えする、ということでした。

「お客様は自由に商品を見たいはずなので、あまりこちらの説明ばかりしても...」「自分たちのことばかり話して、お客様に引かれないかしら」

たいていのスタッフが最初にこういう反応を示し、自分たちの紹介や説明することに抵抗を示します。(私たちのところのスタッフが特別引っ込み思案ということでもなく、日本社会の中では、こういう感覚はむしろ一般的なものなのではないかなという気もしています。)

ところがこういうスタンスでオーダーメイドをやろうとしても、なかなかうまく行きません。

結婚指輪の場合、ほとんどのお客様はジュエリーに対する基礎的な知識や認識を持ち合わせていません。何を基準に自分たちの指輪作りをしていけばいいのか、どういったものが自分たちに似合うのか等々、ほとんどわからない状態で来店される方がほとんどなのです。

つまり、顧客とつくり手の間にコンテクストが存在していない状態からスタートしなければならないということです。この状態ではこちらがいかに優れた技術や熱い思いを持っていたとしてもお客様には届いていません。

コンテクストがないままにいくらやり取りを重ねても、結果は推して計るべしです。

日本に限らず、西欧的なものであってもハイコンテクストを前提に成立しているものもあります。(実のところジュエリーカルチャーなどはもともとその最たるもので、文化的風下にたっている私たちは原則的に、彼らのコンテクストを学んで理解するところから始めなければなりません。)

さておき、日本人が持っているおもてなしの素地(ものづくりにおいてはものづくりの力)を活かすためには、自らのことをきちんと伝える(=コンテクストをつくる)ということに対してもっと力を注いでいくべきかだと思います。

それによって初めて主客対等の関係、コンテクストができる。

それは対外国人や外国文化ということだけでなく、日本人同士に限っても同様なんだと思います。

こういうことを具体的に実現していくことが、主客が一体となるものづくりや商売ということだと思っています。

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