中央線の向こう側は、山あり川ありJクラブあり〜フットボールの白地図【第36回】山梨県
<山梨県>
・総面積 約4465平方km
・総人口 約80万人
・都道府県庁所在地 甲府市
・隣接する都道府県 東京都、神奈川県、埼玉県、長野県、静岡県
・主なサッカークラブ ヴァンフォーレ甲府
・主な出身サッカー選手 清雲栄純、鈴木政一、羽中田昌、中田英寿、石原克哉、柏好文、仲田歩夢、長沼洋一
「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は多様な地域性を持ち、海もあれば山もある兵庫県を取り上げた。今回は、総面積の8割を山岳地が占める山梨県にフォーカスする。山梨といえば「ヴァンフォーレ甲府」。県内には、JFLや地域リーグに所属するクラブはなく、ヴァンフォーレは唯一無二の存在となっている。
都内の中央線沿線に暮らす私にとり、山梨県は近くて遠い存在である。時おり、大月行きや河口湖行きの電車を利用することもあるが、終点まで行き着くことはなかった。立川から特急あずさに乗車しても、基本的に山梨県はスルー。もちろん、避けていたわけではない。あえて理由を挙げるとすれば、遠すぎず近すぎず、という微妙な距離感ゆえであろうか。
とはいえ山梨県の白地図を、いつまでも淡い色のままにするわけにはいかない。そんなわけで、この機会にヴァンフォーレのホームゲームを取材しようと思った次第。まずは中央線で八王子まで出て、そこから中央本線の各駅停車に乗り換える。スタジアムの最寄り駅は甲府だが、せっかくなので周辺の駅にも降り立ってみることにしよう。
まずは甲府駅から3つ先にある韮崎駅へ。改札を出て視界に飛び込んでくるのが、こちらの「球児の像」。サッカー少年を「球児」と呼ぶところに、サッカーどころ韮崎のこだわりが伝わってくる。この像のモデルは、韮崎高校サッカー部に所属していた当時の1年生。地元で開催された、1975年のインターハイで優勝したことを記念して建てられた。同校は高校サッカー選手権においても、5年連続ベスト4という偉業を打ち立てている(戦後に達成したのは、他に国見高校のみ)。
韮崎駅から5つ戻って、石和温泉駅へ。もともとは「石和駅」という名前だったが、1956年に農場の敷地内で源泉が湧出。かつては養蚕業で発展した石和は、戦後は果樹栽培と温泉を中心とする観光業に軸足を移すようになり、駅名も93年に現在のものに改称された。笛吹川にかかる石和橋には、川の名前の由来となった「笛吹権三郎」の像が佇む。伝説によれば、権三郎は母と住まいを川の氾濫で失い、自身ものちに同じ運命をたどったという。
笛吹川と合流して富士川となる釜無川(かまなしがわ)、釜無川の支流で「暴れ川」として知られる御勅使川(みだいがわ)など、山梨県は河川の多い土地である。そして平地の少ない盆地ゆえに、治水は当地の歴代為政者にとって常に悩みの種であった。この難事業に真正面から取り組んだのが「風林火山」で知られる武田信玄。工事には20年近くを費やしたが、これにより当地の水害は激減した。ちなみに今年は、信玄公生誕500年である。
そんなわけで甲府駅に到着した。信玄公が鎮座する南口からは、スタジアム行きのシャトルバスが出ているが、時間があれば北口の「甲州夢小路」もお勧め。戦前の甲府城下町を再現したエリアには、おしゃれなカフェやレストランや土産物屋が軒を連ねる。個人的に惹かれたのは、甲州ワインや地元の日本酒を扱う店舗。試合前に目星を付けておいて、帰りの列車に乗る前に購入するのがいいだろう。
こちらが、ヴァンフォーレのホームゲームが行われる「JITリサイクルインクスタジアム」。「かいじ国体」を翌年に控えた1985年にオープンしたが、ここでプロの興行が開催されることを予期した人は皆無だったため、メインスタンド以外は芝生席だった。その後、二度にわたる改修工事を経て、J1基準のスタジアムに生まれ変わったのが2006年の3月。この年、初めてトップリーグを戦うことになったクラブ関係者は、ほっと胸をなで下ろしたことだろう。
ヴァンフォーレのマスコット、甲斐犬がモティーフのヴァンくんとフォーレちゃん。2匹は血縁関係も婚姻関係もない「お友だち」という設定になっている。この日はホーム開幕戦ということで、今季の所属選手をヴァンくんが全身で表現するというパフォーマンスを披露。マスコット界きっての芸達者という評価が定着し、他サポからも愛されているヴァンくんだが、デビュー当時は手を振るくらいしかできなかったそうだ。スタジアムと同様、マスコットもまた進化していく。
1965年に創設された、県立甲府第一高校のOBチーム「甲府サッカークラブ」をルーツとするヴァンフォーレ甲府。今でこそ県民の宝物のような存在だが、成績不振や経営危機で存続が危ぶまれたのは、ほんの20年前の話である。もしもあの時、クラブが消滅してしまっていたら──。美しい山々、スタンドのファン、そして愛すべき選手たち。こうした当たり前の風景が、何によってもたらされたのか、時おり立ち止まって考える必要があるだろう。
山梨県のご当地グルメといえば、太麺と野菜をぐつぐつ煮込んだ「ほうとう」が有名。しかし今回は、県を代表するB級グルメ「甲府鳥もつ煮」を紹介したい。レバー、砂肝、ハツ、キンカンを濃厚な醤油ダレで煮詰めたもので、シズル感のある照りが特徴。材料はいずれも肉屋で捨てられていたもので、甲府市内の蕎麦屋が試行錯誤の末に1950年に完成させた。それまでは知る人ぞ知るメニューだったが、2010年のB-1グランプリ優勝で全国に知られるようになった。
<第37回につづく>
宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2016年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。
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