おじいちゃんのポモドーロ
亡くなったその日の朝も、ちゃんと冷蔵庫にズッキーニとトマトがあるか、引き出しに玉ねぎとパスタがあるかを娘たちに尋ねていた。90歳まで元気に生きた私のおじいちゃんは、かつてイタリアのシチリア島の漁師だった。ジュゼッペという名前で、愛称はピノ。「ピノ」はイタリア語で「松」という意味でもある。母が中学生だった時、新しい仕事のために一家でイタリアの北の方へ引っ越して以来、七人の家族を集めて料理を作るというおじいちゃんの情熱は、最期まで消えなかった。
冬は寒い土地柄に合った、体も心も温まる料理を作り、夏は毎年故郷のシチリアに帰って自分の小さな船で魚を釣りに海へ出た。しかし、ある日いつものように港に向かうと、おばあちゃんの名前「セバ」で親しんでいた船がなくなっていた。「マフィアに盗まれたに違いない」とおじいちゃんは確信したそうだ。悲しかったけれど、その悲しさをさらに美味しい料理を作るためのエネルギーへと変えた。
北の家に戻ると、家族のみんなが遊びにくる日曜日に、おじいちゃんはラザーニャや野菜や魚などの料理を何皿も作ってくれた。みんなとおしゃべりをしながら食べて飲んでいた。議論や喧嘩をすることもしばしばあった。
おじいちゃんの作るいちばん印象的な料理はポモドーロ(トマトソース)のパスタだった。材料自体は玉ねぎ、人参、トマト、ニンニク、バジル、ローリエと簡単なものばっかりだが、心を込めて作ることがなによりの隠し味だった。
「これがピノのポモドーロだ!」と誰もが笑顔になる唯一無二の味だった。
亡くなる前の日にもおじいちゃんはこの素材で美味しい逸品を作ってくれた。
わずらっていた癌の状況が深刻になってきたころ、私はイギリスの大学で日本語の勉強をしていた。東南アジアにいた母からの「おじいちゃんがそろそろ危ないかもしれない」というメッセージを読んだ私は、卒業論文を無事に提出し終えてすぐにイタリアへ飛んだ。イタリアの伝統で卒業生が被るローリエの冠をカバンに入れた。ローリエの葉は古代ギリシャの頃から文化芸術にすぐれた人々を讃える象徴であり、もとは偉い詩人が被っていた名誉あるものだ。
コロナ禍だったのでおじいちゃんは病院ではなく、自宅で看護されていた。慣れ親しんだ場所で久しぶりにおじいちゃんに会えたのは嬉しかった。ローリエの冠を頭に被ってベットに横たわっているおじいちゃんに面会すると
「日本学科を卒業したんだね。おめでとう。」
と言いながら、もう何日もベッドから起き上がっていないはずのおじいちゃんが体を起こし、両手を伸ばして私をハグしてくれた。
「次は日本かい?」おじいちゃんは聞いた。
「うん。水際対策が解除されたらすぐ日本に行きたいと思ってるよ。」と私は答えた。
水さえ飲めないほどの弱った体なのに、いったいどこかからこんなエネルギーが出てくるんだろう。
日本学科を卒業したことを誇りに思ってくれていることがひしひしと伝わってきた。そんな奇跡のような日、いつも料理のことばかり考えていたおじいちゃんがキッチンに立ちたいと言った。どうしても立ちたいと何度も言うので、家族三人で体を支えながら椅子に座らせて、キッチンまで連れていった。
自分で玉ねぎや重いまな板を取ろうとしたので、かわりに私がそれらをテーブルの上に乗せた。包丁もとって欲しいと言われたのでその通りにした。しかし、やせ細った手で包丁を扱うのはあまりにも危ない。そう思って手伝おうとすると、「ダメ」と言われた。玉ねぎも人参も時間をかけて、一人でみじん切りにしていくおじいちゃん。オリーブオイルをフライパンにさし、ローリエの葉も使って「最後のポモドーロソース」を作っていく。私はできあがったものを受け取って、冷蔵庫に入れておいた。
ベッドで過ごしていた最後の日々もおじいちゃんはしっかりとした顔色でイタリアの宝くじの番号をどうしようかと言ったり、家族にまかせている買い物のリストを確かめようとしていたそうだ。そんな時に娘の誰かがキッチンにあるズッキーニなどを持って見せにいくと、
「野菜もパスタも十分にあるようだ。これならみんな食べられるね。よかった」というような表情をしてほほえんでいたという。きっと安心したのだと思う。
亡くなった日の午後、すべての親戚がおじいちゃんの家に集まって、おじいちゃんに喜んでもらえるように、幕を下ろした彼の人生を料理でお祝いした。その中には死ぬ前の日におじいちゃんが作ってくれたポモドーロソースを使った大皿のパスタもあった。
「これはピノじいちゃんが最後に作ったポモドーロよ」一人のおばさんが言った。
「ヴォンアッペティート(いただきます)」と口々に言い、皆で美味しくいただいた。
私にとってこの時のポモドーロ以上に元気をくれた料理はない。その日の悲しさとともに、最後まで頑張って料理を作ってくれたおじいちゃんのその姿、命そのもの、私の卒業祝いのローリエの葉、おじいちゃんが私を誇りに思ってくれた気持ち、すべてが込められたポモドーロだった。
それだけではない。人生をかけて愛した料理に注ぐ情熱が、最期の時まで消えなかったのを目の当たりにしたことで、私の人生の支えとなる大きな力をおじいちゃんから貰うことができた。
「ピノじいちゃんのポモドーロ」は、日本で過ごす日々のなかで私が心の奥底で大切にしている宝物である。おじいちゃんが死ぬ間際に作ってくれたソースの中の、細かく刻まれた玉ねぎには、おじいちゃんにとっての食の大切さが表れているのと同時に、濃やかに生きた彼の人生そのものも刻まれている。
この文章は、日清オイリオとnoteで開催する「#元気をもらったあの食事」の参考作品として書いたものです。
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