私はなぜ写真を撮るのが好きなんだろう?【Day14:書く習慣1ヶ月チャレンジ】
先日、こんな写真を投稿しました。
実は、一時期、写真にハマったことがありまして。カメラ、それも一眼レフを、毎日持ち歩いていた時期がありました。
いちばん上の子が産まれたときくらいかなー?人生で初のデジタル一眼レフカメラを購入して、あの頃は本当によく撮ったなぁ。
連写モードにしてないのに、まるで連写で撮ったかのような、同じような写真を量産していました。あとから見返してみても、「どれも一緒やん!」な写真。
当時はね、ただ楽しくて撮ってたと思うんです。新しいオモチャを買ってもらった子どものような気分で。
「知らないことを知る」って、めちゃくちゃ楽しくて、魅力的じゃないですか。
ホワイトバランスを変えるだけで、写真の色味が変わる。F値を変えるだけで、背景がボケる。
カメラをちょっとでも触ったことのある人にとっては、超当たり前なことでも、驚きとワクワクの連続だったもんなぁ。
未知だった写真の世界が、私にとってはとんでもなくおもしろかったんでしょうね。
でもね、下の子が産まれて、またもう一人産まれて・・・ってなると、どんどんつらくなっていったんですよ。一眼レフカメラの重さと大きさが。ただでさえ荷物多いのに。
で、一眼レフよりも小型軽量なミラーレスカメラやコンパクトデジタルカメラを買ったりしたんですけど、やっぱりヤツには勝てませんでした。ス・マ・ホ。
ちょうどスマホが登場し、どんどん進化していってる時期で。こんなにペラペラで軽くて、どこにでも持っていけるカメラって、他にないですもんね。もうスマホでいっかーって。いまでは基本、スマホ撮影。旅行ですらカメラを持っていかなくなっちゃいました。
「今日は桜を撮りに行く!」って、鼻っから撮影目的で出かけるときだけ、ミラーレスカメラを持っていきます。
たまにしかカメラで撮らないからか、いざ撮り始めると、当時のワクワクを思い出して、めっちゃ楽しくて、新鮮な気持ちで撮れちゃいます。
昔に比べて、機会が減ったとはいえ、やっぱり好きなんでしょうね、写真を撮るのが。
でね、私ってなぜ写真を撮るのが好きなのかなって考えてみたんです。
私の好きな被写体が、花や風景なんですが。
直近でミラーレス撮影をしたのが、紫陽花。
ガクアジサイをマクロレンズ(接写)で撮るのが好きなんです。お花たちがなんだか踊ってるように見えるんよね。
植物って、動物のように鳴いたり動いたりしないから、生物というイメージがどうしても弱くなっちゃうけど、確実にいのちはあって。
静かな生命力というのかな?
咲き誇っているときの力強さと華やかさ、散りゆくときのはかなさ、がまっすぐに向かってくる感じ。本当に美しいなって思うのです。
風景写真や街のスナップも好き。
一枚目の海の写真は、見たままの美しさにただただ導かれて撮ってる。
街中の写真は、心がざわざわっとして、「これ撮りたい!」って瞬間的に思ったものを撮る感じかな。
私はストーリーを感じる写真が好きなので、撮る写真も自然とそういうのが多いかもしれないなー。トンネルの写真なんて、最高にワクワクします。
あと、光と影を感じられる写真も大好き。
光と影、陰と陽、善と悪、表と裏。
二面性こそが人間であると思っているので、光と影、どちらも感じられる写真が好きなんよね。なかなか自分ではうまく表現できないけどね。
以前、写真家の市橋織江さんのインタビュー記事を読んで、おこがましいながら、私もこれに近いんじゃないかなって、思ったことがありました。
写真を撮ることはインプット。
たぶん、私もこれなんだろなーって。
先程も書いたけど、「これ撮りたい!」って瞬間的に思ったものを撮ることがけっこう多くて。
「写真を通じて、何かを伝えたい」
というよりは、
「写真を通じて、何かを感じたい」
と、思っているんじゃないかな。
だから、「みんな見てーー!」という気持ちはあんまりないし(ゼロではないけど)、撮るときはパシャパシャ撮りまくるけど、気が乗らないときは何日間もまったく撮らない。
写真に関しては、本当に好きにやってる気がします。
ひょっとして、書くこともアウトプットではなく、インプットになったら。もっと自由に、想いのままに、書けるのかな???
(ま、読まれるかどうかは別問題だろうけどね)
というわけで。
私がなぜ写真を撮るのが好きなのか?
noteというプラットフォームの性質上、あまり写真だけの投稿って見られないかもしれないんだけど、これに関してはホント、自分が好きでやってる世界なんで、今後もときどき冒頭で紹介したようなnoteが出てくるかもです。
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ではでは、また!