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オキナワの頃 其の六 〈出会い、結婚、そして〉

何度も来る猛烈な台風、三線の鳴り響く島の風景、毎日のように食べたそば。そして、水牛達。そんな島の日々も終わりが近づいてきた。

ぼくは20代の頃は結婚はしないで、ずっと気ままに一人でいよう、結婚なんて紙切れ上の形式に過ぎないんだ、なんて思ってたのだけど、何度かの異性との付き合いも経て、つきあっては別れての繰り返しをしていてもなあとか、30過ぎて少し体が弱ってきたり、風来坊的生活からくる不安や寂しさなんてのも合わさって、結婚した方がいいんじゃないか、よし次に付き合う人は結婚する人だという風に考え方が変わり、丁度その時出会ったのが嫁だったわけである。嫁は島に長期滞在をしていたので民宿の宴会や、食事を一緒に食べたり、夕陽を見に行ったり、満天の星空を眺めたりと自然と仲良くなっていった。そして、ぼくが結婚するのは、この人だと思い結婚前提で付き合うことになったのだ。

では、結婚するとして何処に住むか。嫁は鹿児島系列ではあるけれど、生まれた時から東京世田谷の人であり、島の暮らしはまず無理だ。しかし、東京、神奈川の暮らしは自分が出来ない。大好きな沖縄から出たくない。そこで、ぼくは島を出て沖縄本島に住むのがいいなと思った。那覇なら都会で上手くやっていけるだろうと。もう一つぼくにはやってみたいことがあった。三線をメインにしたお店を自分でやってみたくなっていたのだ。那覇の国際通り近くに場所を借りればいけるのではないか、なんて考えていた。そして、嫁は(この時はまだ結婚してない)心良く同意してくれた。

竹富島で暮らして3年8カ月、いよいよ島を出る朝がやってきた。前日にいろんな人に挨拶を済ませ島全体が忙しい朝の時間にぼくはひとり島を離れた。いいことも悪いこともあった。楽しいことも苦しいことあった。石垣島行きの船の中でいろんな思いがよぎる。三線の練習に励んだ夕暮れ時のカイジ浜、ぼーっとしにいった西桟橋、汗と涙の青年会、そして、楽しかったガイドの仕事。

さらば水牛たち!!さらば島の人たち!!さらば竹富島!!

新たな住処は沖縄本島那覇のやちむん通り。家を見つけてくれていた嫁(結婚はこの一カ月後)と合流して新しい生活が始まった。



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