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【退職エントリ】4年10ヶ月勤めたトラストバンクを退職して新潟に戻ってきた

突然のご報告となりますが、この度、4年10ヶ月勤めたトラストバンクを退職しました。そして、新潟に戻ってきました。現在は、実家の粟島浦村に戻り次の準備をしております。

バックは粟島汽船

2017年4月から入社させていただいた当時は50名もいないくらいの社員数でしたが、ふるさと納税の認知とともに会社も大きくなってきました。
ITベンチャー企業の急激な成長スピードを身を以て感じさせていただき、なかなか経験できないことをさせていただきました。

自治体さん、事業者さん、そして会社の全てのメンバーのみなさんに支えられて続けることができました。
トラストバンクの仕事を通して出会った全ての方に感謝しています。全ての人とのつながりが自分の貴重な財産となりました。

これから別のフェーズにうつりますが、少しでも関わっていただいた方々にはお返しできるように引き続きまちづくりに携わって頑張っていきます。

28歳の誕生日のときにも偉そうなことを書いており、図らずですがこういう人生の展開になってしまいました。人生は何が起こるかわかりません。

それでは以下、退職エントリをまとめていきます。

▼目次
・トラストバンクの入社経緯
・トラストバンクでやったこと
・退職の理由
・これから何するの
・最後に

トラストバンクの入社経緯

そもそも僕がトラストバンクに入社した経緯からお話しようと思います。
トラストバンクはキャリアでは3社目の会社でした。

転職時に考えていたことは、「人生を通して向き合えるテーマを仕事にしよう」と考えていました。そのテーマが「まちづくり・地域活性」でした。

といいますのも、新卒当時は、老舗の医療機器メーカーに入りましたが、約4ヶ月ほどで合わないと思って辞めました。
その後、半年ほどフリーターになりジムのインストラクターをやってました。そこからなんかスキルをつけないといけないと思い、1年ほど営業代行の会社でケーブルテレビの訪問営業やってました。しかし、高校から全くテレビを見なかったですし、ちょうどNetflixやhuluが流行ってきたころで、「自分が使うならケーブルテレビよりNetflixだろ!」と思って自分がおすすめできないものは売れないと思って苦悩してました。

結構悩んでたときに、父親が体調崩したので、それがきっかけで営業代行の会社も辞めて、一度実家の島に戻ることにしました。

入社前に島に戻った時はタラ網を手伝ってた

実家に戻って、その2年間のキャリアを反省し、次の転職は以下の条件を決めて探しました。

①自分が興味を持てる・好きだと思えることに関われること
②広く社会に貢献できること、社会にとって意味の大きいこと

この2つを考えたときに、「日本の文化や歴史に関われる」ことと「クラウドファンディング」を思いつきました。この2つに行き着いた理由は、僕は子どものころから日本文化や歴史が好きだったので、日本に貢献できるようなことなら長続きするだろうなと思いました。

また、今の日本には閉塞感や絶望感や生きづらさみたいなマイナスのもの蔓延していると感じていました。クラウドファンディングの仕組みは、人の夢を応援できる仕組みだと思ったので、クラウドファンディング自体がもっと広がれば日本の閉塞感などは打破できるんじゃないかと思ってました。
2017年当時は、クラウドファンディングという言葉が徐々に浸透してし始めていたころだったので、これからだなと思ってました。

その中で出会ったのがふるさと納税でした。ふるさと納税を調べると、「ふるさと納税ってクラウドファンディングの仕組みじゃん!」と思い、地域を元気にすることができて、かつクラウドファンディングの仕組みってすごくいいなと思いました。
そして、トラストバンクに面接に行きご縁をいただけたという流れでした。

トラストバンクでやったこと

2017年4月~2019年12月

この時期は自治体さんのふるさと納税の業務支援をしてました。自治体のふるさと納税の寄付額を伸ばす施策提案やコンサルをしていました。
また、全国を飛び回って、ふるさと納税の返礼品事業者さん向けにふるさと納税の活用セミナーなどもしていました。ときには一緒に自治体さんと事業者さんを回って、ふるさと納税の説明にいったり、災害の被害を受けた事業者さんの支援をしたり、一緒に商品開発してPRしたりなど多岐に渡って活動してました。

事業者さん向け勉強会

島根県の自治体さんとは、1年間毎月訪問して住民ワークショップを開催して、ワークショップでの成果物を記者会見したり、まちに深く関わらせてもらいました。この1年間の活動が、地域との向き合い方や仕事の仕方などをガッツリ身にしみた1年間でした。

事業者さんに教えてもらった包丁づくり
年間通して開催した住民ワークショップ

その他にも自治体さん・事業者さんと寄付者さんが直接交流できる「ふるさとチョイス大感謝祭」という1万人を超えるリアルイベントの企画を3回ほど担当させていただいたり、役職関係なくいろいろな経験をさせてもらいました。ベンチャーならではの役職や部署関係なく、いろんな仕事できたのはとてもおもしろかったです!

企画担当させてもらった2017年の大感謝祭

2020年1月~2020年10月

この時期からは新設される商品企画チームというところに所属しました。
ふるさとチョイス内のコンテンツを企画・編集したり、外部企業さんとのコラボコンテンツの企画をさせてもらいました。
思い出深いのは、僕が大好きな「藤巻百貨店」さんとコラボ特集を作らせていただいたことです。

実はもともとのコラボのきっかけも、企画した勉強会に藤巻百貨店のバイヤーさんに講師で来ていただいたことがご縁でした。講師のお願いしに行ったのも自分でとても緊張してたのを今でも覚えている。

藤巻百貨店さんに事業者さんを紹介して藤巻百貨店で取り扱ってもらえたり、その他にもナチュラルローソンさんとコロナウイルスの影響を受けている事業者さん支援のコラボ企画なんかもさせてもらいました。

事業者さんのふるさと納税以外の販路づくりに貢献できたり、ふるさと納税の枠組みを超えた取組をできたことはとてもやりがいのある素晴らしい経験でした。

2020年11月~2021年12月

この時期は、高知県の自治体さんに約1年間ほど出向にいかせていただき、現場のふるさと納税業務を体験させていただいたりと様々なことを経験させていただきました。
ときには事業者さんのexcel管理の修正をしたり、一緒に梱包作業をしたり、商品企画を一緒に考えたりと、とても新鮮で楽しかったです!
そして、現場にいないと見えてこないものがあり、まちづくりについて深く考えることが多く、たくさんの学びがあった1年間でした。

仁淀ブルー!これも仕事です。

退職の理由

そんな中、2021年10月に退職の決意をしました。

僕が退職を決めた大きな理由は、「地域の『中から』地域を元気にするプレーヤーになろう」と思ったからです。
2020年にコロナ禍により、仕事の環境変化や、様々な人との出会いやまちづくりの考え方が少しずつ自分の中で変わっていったことが大きかったです。
ターニングポイントは以下の4つでした。

1.コロナ禍による地域のリアルを知る機会の減少
2.Flags Niigataとの出会い、新潟仲間との繋がり
3.地域のプレーヤー不足の実態と自分の役割の見直し
4.最後に地域を変えるのは地域の中の人

1.コロナ禍による地域のリアルを知る機会の減少

新型コロナの影響により、2020年4月から全社的にリモートワークが開始されました。在宅で勤務している中で思ったことは、

・出張がいけなくて地域の現状がわからない
・在宅勤務ならどこで仕事しても変わらないなら地域の近くで仕事がしたい

という2つでした。とにかく現場を自分の目で見て確かめることが一番大事だと思っているんですが、コロナの影響で地域のリアルと触れ合う接点が少なくなりました。

その一方で、在宅勤務で仕事ができるならせっかく地域活性化のために仕事してるんだから地方に住んだほうが良いじゃん?と思い、地方移住を考えて、山梨にワーケーションに行ったり、個人的に旅に出てたりました。

自分の目で見たり肌で感じるような一次情報が減ったのがすごくモヤっとしてるなかで、「まちづくりに携わってるのに地域のことを知らないのってヤバいな」というのが、コロナの影響でボク個人が一番感じたことでした。

山梨県富士吉田市で1週間ワーケーション(ホントはここから富士山見えるの…)


2.Flags Niigataとの出会い、新潟仲間との繋がり

そんなコロナ禍の中、2020年5月に「Flags Niigata」という新潟と東京をつなぐ20・30代のオンラインコミュティが立ち上がり、僕もコミュニティに入りました。

ここで新潟を盛り上げるために頑張っている人や、東京にいるけど新潟になにかしら貢献したいと思ってる人に出会えました。
その出会いによって「自分も何かしら新潟に貢献していきたい」と思う気持ちが次第に強くなってきました。このコミュニティメンバーに出会えた影響がとても大きかったです。 

オンラインでしか交流したことのなかったメンバーとの初のリアル交流

3.地域のプレーヤー不足の実態と自分の役割の見直し

全国いろいろな地域を見て思ったこととして、地域はまだまだプレーヤーが不足しているということです。

今までプラットフォームというポジションで地域をサポートする側にいましたが、地域の中から地域を元気にする人がもっと増える必要があると思っていましたが、まずは自分がやってみないとだなと思いました。
「今までずっとサポーターとして動いてたけど、プレーヤー側をやろう」と。できるかできないかというより、やるかやらないかで考えたときに「自分がやらねばならん」みたいな勝手な使命感が出てしまいました。

4.最後に地域を変えるのは地域の中の人

そして結局のところ、最終的に地域を変えられるのはそこの地域の人しかいないというのが、今の僕のまちづくりにおいての結論です。
地域の中の人たち自身が、自分たちの地域に対する当事者意識をもたないと地域は良くならないのだと僕は思っています。

「よそ者・ばかもの・若者」はもちろん大事ですが、地元の人は地元出身者を期待して信頼しているし、地元出身者というのは地域の中で活動する上でとても有利ではあります。
しかし、3.にも書きましたがそのプレーヤーが少ないのも現状なのです。

なので、まずは自分がちゃん自分のふるさとである新潟・粟島でどこまでできるのか、人生の実験台としてやってみないといけないということを思うようになりました。

これから何するの

ところでお前これから何するんじゃ?というのをよく聞かれますので…
方向性としては、ざっくり3つあります。

  • 新潟のふるさと納税を盛り上げる

  • 粟島で事業つくる

  • 中小企業の支援

今までずっとふるさと納税に携わってきましたので、自分の知見やノウハウを活かして新潟のふるさと納税を盛り上げられるようにしていきたいと思います。「ふるさと納税で寄付を伸ばしまくるぜ!!」というような筋肉マッチョ型のやり方よりも、理想としてはふるさと納税を如何にまちづくり全体に活用していくか、またふるさと納税以外の事業もつくれるかというところもやっていきたいです。

そして、粟島での事業開発。コロナの影響で島の衰退スピードがだいぶ加速しているのでどうにか手を打たないといけない状態です。
特に主産業である漁業・観光/宿泊業あたりをどうにかテコ入れしていかないといけないです。漁業に関していえば、2年前は漁獲高1億円だったのが、今では5000万円まで半減してるとのことです。コロナの影響、担い手不足、地球環境の変化などの内外部ともに課題があり、結構大変な状況です。

5年ぶりのタラ網の手伝いでは色々と見える世界が変わった

そして、地方の中小企業の支援もしていきたいなと。日本の99.7%は中小企業なので、ここが強くなれば日本の経済は強くなる。
ふるさと納税を活用して中小企業の売上利益の向上に貢献しつつ、ふるさと納税だけではない事業者の支援をしていきたいとおもっています。

自分一人ではできないので、一緒に新潟を盛り上げてくださるパートナー企業さんや仲間と一緒と協力しあいながら事業進めていければと思っています!新潟にとりあえず遊び行きたいって人でもいいので、皆さん新潟に来てください!美味しいごはん用意して待ってます!

さいごに

改めて、4年10ヶ月という期間お仕事をさせていただいたトラストバンクには感謝しかありません。トラストバンクという会社に出会わなければ、ここまで真剣にまちづくりや地域活性のことも新潟のことも考えることはなかったかもしれません。

これからは地域の中から地域を元気にするために、自分なりに考えながらまちづくりに携わっていければと思っています。

この先のことは不安もたくさんありますし、どうなるかわからないというのが正直なところですが、自分で選んだ道なので後悔だけはしないようにはしていこうと思います。

最後に社会活動家のガンジーの言葉をもってきて締めたいと思います。

“You should be the change that you want to see in the world.”
あなたがこの世界に望む変化に、あなた自身がなりなさい。
               Mahatma Gandhi(マハトマ・ガンジー)

常に変化を作る側でありたいと思います。
言葉だけでなく、行動で示していけるように。

これからも生暖かい目で見守っていただければと思います。ふるさと納税の相談とかお仕事の話とかあればぜひお話しましょう!
DMくれると泣いて喜びます!最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 



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