テルコーチ

「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由。」サッカー指導者、運動指導者としての事、私生活の事。サッカーコーチ、元サッカー選手(J下部)、運動指導者。

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  • 「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由。」

    ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーを目指した物語です。 過去を思い出しながら書いていきます。

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「Jリーガーになる!凡人選手がスペシャルな選手に近づいた方法」

自己紹介初めまして 私はド田舎育ちで目立った経歴の無い状態から19歳でJリーガーを目指し始めました。 22歳時J2ザスパクサツ群馬(当時ザスパ草津)の下部組織 ザスパ草津チャレンジャーズ(当時ザスパ草津U23)のセレクションに合格し入団しました。 チームメイトは後に ・J通算200試合出場する枝本雄一郎選手 ・J通算200試合出場今もJリーグで活躍している久富良輔選手など Jリーガーになった選手達と寮生活をしながらサッカーをした経験はとても貴重なものです。 この記事では

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    • 「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」7

      かなり間が空いてしまったので過去の記事を読み直して頂けると更に楽しめるかと思いますので是非! 決勝リーグ決勝リーグは3チーム総当たりで上位2チームが県大会に進む事が出来る。 決勝リーグに上がってきたのは大本命のS中、郡市大会で敗れたA中、そして我らがちびっ子軍団。 S中は今大会大本命でトレセン選手も多く小学生の時から上手で強い。 A中には郡市大会で負けているし、総合力で見てもA中の方が上だが絶対に勝てない相手では無いといった所。 1位はS中がほぼ確実なので、A中と私達どち

      • 小学生と中学生

        あと1ヶ月ちょっとで新年度に入るので、サッカーの活動を通して今年度感じた事を書きます。 この1年は1つ大きなチャレンジをしました。 それはジュニア部門を設立した事です。 ジュニア部門といってもチーム登録はせず、現在行っているサッカースクール+αの形で週に2〜3回の活動を行いました。 ジュニア選手達は元気良く常に前向きに取り組んでくれました、ジュニアユースと練習を合同で行うことも多くあったのでお互いに高め合える良い関係を築く事が出来ました。 同じ地区のスポーツ少年団に協力

        • サッカーを通して成長する

          私は現在保育園児から中学生までのサッカー指導をしています。 その中で意識している事は ①サッカーを楽しんでもらう事 ②サッカーを通して成長する事 この2つがメインになります。 先日「サッカーを通して成長したなー」と感じた選手がいたので、 その選手の事を書きたいと思います。 彼との初めての出会いはイベントでした。 ある施設のスポーツイベントでサッカー体験会を行いその体験会に参加してくれたのが初めての出会いでした、その時のサッカーがとても楽しかったようで後日私のサッカースクー

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        • 「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由。」
          8本

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          サッカーの街

          去年私達の地域では大雨による災害が起きました。 私の実家ももろに影響を受けてそれはそれは大変な思いをしました。 そんな時に 「子供達が外に出なくなった」 「子供が笑わなくなった」 など被害を受けたご家庭から悲しい話しを聞きました。 そこで「私に出来る事は何だろう?」 と考えサッカーを通して子供達に楽しんでもらう事にいきつき2週間程度の準備期間しかありませんでしたが、できる限りの準備をしてサッカーイベントを行いました。 参加者の皆さんにはとても喜んでもらい被災した私自身も

          サッカーの街

          心が揺さぶられる体験

          有料ノート作成にパワーを使い果たしやっと復活しました。笑 突然ですが皆さんは心が揺さぶられた経験はありますか? 悔しくて胸がざわざわしたり喜びが体の底から溢れ出るような経験はきっと皆さんあると思います。 私はつい先日ありました、 重要な試合に負けてしまいその日から 「もっとこうしたら」「あの時ああしたら」とそんな事ばかり考え夜も眠れません。 眠れないは言いすぎました、毎晩考え込んで2時間くらい寝るのが遅くなっています。笑 振り返ると私は昔から切り替える事が苦手だったのか

          心が揺さぶられる体験

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」6

          郡市大会 2年生になった 1年生が入ってきたが3人だけなので相変わらず小さい部のままだった 3人とも私の1個上の先輩の弟だった 3人共S地区出身 3人共良いやつで可愛かった 新人戦やトレセンを経て1年時よりは実力が付いているのを実感していた 精神的にも少し大人になっていた 新年度になると毎年の流れとして 地元のフェスティバル→郡市大会→下越大会という日程をこなしていく。 地元のフェスティバルは優勝する事が出来てその勢いのまま郡市大会に入った。 郡市大会の出場チームはフェ

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」6

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」5.5

          軽めの衝撃〜新潟市の彼 2年生になるとサッカー人生を揺るがすとんでもない衝撃を受ける事になるが、今回は1年生時に軽めの衝撃を受けた選手2人を紹介したい 1人はトレセン(選抜チーム)で試合をした新潟市の1個上の選手だ その日は土砂降りの中土グラウンドでの試合だった、ボールは全然転がらないし視界も悪いしハッキリいってサッカーにならなかった しかし彼だけは普通にサッカーをしていた グラウンドの状況を考慮したパスの強さ、スペースに運ぶドリブル、囲まれても奪われないキープ力、彼だ

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          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」5

          中学生になり少し変わった理由 中学生になった私は小学生の時より明るくなったと思う それは中学時代常に一緒にいたYの影響だと思う。 家が近いのもあり小学生の時からたまに遊んでいた仲だったが中学からは常に一緒にいるくらい仲良くなった。 Yは典型的なガキ大将 多分Yの事を良く思わない同級生もいたと思う Yはとにかく明るくてお喋りだった 気分屋なので機嫌が悪いと大変だった YES、NOをはっきり言える人間だった 空気を読まない事が多い奴だけど 自分の感情を素直にだすYが好きだっ

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          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」4

          凄まじい衝撃体験と偉業を達成する中学時代 中学生になり中学校の部活でサッカーをする事になる。 この時代まだクラブチームは少なくサッカーは部活でやるのがこの田舎では一般的だった。 スポ少の先輩達も部活に入っていたし中学校からサッカーを始めた先輩も多くいた。 スポ少で一緒にプレーしていたチームメイトも皆んなサッカー部に入った。 残念だったのはスポ少の時に隣村から来ていた2人の友達とは中学校が違うので一緒にサッカーが出来なくなってしまった、 その2人は通う中学校にサッカー部がな

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」4

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」3

          6年生になる時に自分の予想と違う事が起きる 私は5年生から10番(一般的にはエースが付ける)だった 当時は俺が1番上手だ!なんて思ってたけど今思えば私より技術的に秀でてる先輩も同学年の友達もいた。 だけど少し足が早くてシュートも積極的に打つ私が1番点を取っていた だから俺が1番だという勘違いをしていた。 6年生になる時に監督からキャプテンが発表される。1番上手いと勘違いしている私は 「まあ俺だろうなー」なんて 思っていたが、監督から発表された名前はSだった。 Sは私と

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」3

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」2

          小学4年生になり従兄弟がサッカーをやっていたという理由で地元のスポーツ少年団に入った。当時は小学4年生から入れる決まりがあったのでそのタイミングで私の他に2人入った、2人とは当時よく遊んでいた?か親が仲良かった?そんな感じで同じ4年生は最初3人だった。 チームは出来たばかりで私は4期生だった。 当時の監督は現在も同じチームを率いている、ボランティアでサッカーが出来る環境を維持して、指導して、運営するってとてつもないパワーだ。 今でも何かあればすぐ力を貸して下さる、本当に心の

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」2

          「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」1

          サッカーが盛んなわけでは無い プロはおろか全国大会に出た人すらいない 小学生時のチームでは全学年が揃ってやっと1チーム作れるような新潟のド田舎で育った。 しかしそんな環境から最終的にはJ2クラブの下部組織に入り、ビッグスワンでアルビレックス新潟と試合をしたり、多くのJクラブと試合をする事が出来た、全国大会に出場することも出来た。 チームメイトは後にJ通算200試合出場する同期、今もJで活躍している後輩、海外でプロになった後輩、プロ契約を勝ち取る選手は素晴らしい経歴の選手ばか

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