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「ド田舎育ちのサッカー少年がJリーガーと対等になれた理由」1

サッカーが盛んなわけでは無い
プロはおろか全国大会に出た人すらいない
小学生時のチームでは全学年が揃ってやっと1チーム作れるような新潟のド田舎で育った。


しかしそんな環境から最終的にはJ2クラブの下部組織に入り、ビッグスワンでアルビレックス新潟と試合をしたり、多くのJクラブと試合をする事が出来た、全国大会に出場することも出来た。

チームメイトは後にJ通算200試合出場する同期、今もJで活躍している後輩、海外でプロになった後輩、プロ契約を勝ち取る選手は素晴らしい経歴の選手ばかりだった、そんな中にド田舎出身で特に経歴もない私がなぜ入っていけたのか、対等に闘えたのか、そしてプロ契約を手にする事が出来た彼らと何が違ったのか。
振り返っていきたいと思う。

初めまして

現在サッカー指導や運動指導を行っている
テルコーチです
サッカーチームの運営も行っています。
・現役を退き約10年
・昔の事を整理したい気持ち
・noteに興味があった
3つの理由があり書き始めたいと思いました。

タイトルの内容が気になる方ばかりだとは思いますが、今回は自分の人生を丸ごと何回かに分けて振り返りたいと思います。

今回は小学校でサッカーと出会うまでを振り返りたいと思う

私が産まれたのは母の実家がある山口県宇部市
方言はぶち(すごい)、〜やけえ、語尾にちゃ、をつける、母はもろこんな感じでぶち方言強かったっちゃ

私は全然山口弁ではないし使いこなせないが、夫婦揃って新潟県出身の家庭が多いこの田舎では、山口の血が入っているというのはなぜか少し誇らしく気に入っていた


宇部には年に1度行くくらいだった、父が転勤族で大阪、東京と過ごし、私が年中の時に父の実家がある新潟に引っ越してきた。
小さい時から負けず嫌いで、保育園の運動会では、1周差をつけて勝っていたのに負けてると思い込みもう1周走ったというエピソードがある。

当時の担当の先生に、今は運動指導をしているんだから、本当に人と人との出会いは不思議な物だし予期せぬ所で繋がっていく。

そんなこんなで小学生になる
とにかく運動が大好きで常に走り回っていた
低学年の頃はドッジボール、野球、を好きで良くやっていた、空手は習ったが面白さを見出せず1年くらいで辞めた
水泳は2年くらいやったのか?そのくらいで辞めた、水泳は今になれば本当にやっていて良かったと思う、泳げるって大事だし体育の授業でも水泳あるし。


このスイミングスクールで一生付き合っていく友達が出来る
この時からずっと付き合いのあるA君だ
Aは動けるおでぶちゃんだった、後に大学まで野球に打ち込むんだが、この時は泳げるおでぶちゃんだった、おでぶちゃんすぎて正座やあぐらが出来なかった、今でも実家には私の誕生日会にきたAが女の子ずわりで焼きそばを食べている写真がある。

ずっとおでぶちゃんだったが中学卒業時にはスリムになり、元々イケメンだったが高校3年生時に「俺、けっこうカッコいいんじゃね?」と気づき始めてからすごいモテた。
こんな感じでAのエピソードはいっぱいあるけどまたにしよう。

空手と水泳をやっていたがこの2つをやり始めたきっかけは従兄弟である
従兄弟がやっていたので一緒にやり始めた、本当にそれだけだった

従兄弟は2つ上と1つ下にいた、仲が良くいつも3人で遊んでいた。
まだ後の話になるが、2つ上のTちゃんは若くしてこの世を去る事になる、とても辛く悲しい思いをしたけど、私の人生に素晴らしい経験や思い出を与えてくれた。
その時の事もしっかりと振り返りたい。
1つ下のTは人懐っこくかわいい、今も家族ぐるみで付き合っている、こいつもまた面白い男だ。

そしてサッカーを始めるのもこの従兄弟がきっかけなのである。

2つ上の従兄弟がサッカーを初めたと聞き、なんかわからないけど一回練習に行ってみようとなった気がする。
自分から行きたいと言ったのか、親に連れて行かれたのかは覚えていない
なんなら1回も練習に行ってないかもしれない
すぐチームに入団したのかもしれない
あんまり覚えていない。笑

そして初めてサッカーに出会うのであった。

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