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クリスマスにはおでんを①

この記事を見て頂きありがとうございます!

僕は無の時代というのを3年も過ごしたことがあります。
その前に僕が何故無の時代を過ごすことになったか話そうかと。


独り立ち

僕は親に家と自身の借金合計300万円を
肩代わりさせられそうになって家を飛び出しました
7年間で5回も引っ越しをする事になったんですね

それからの親は転落の一方で
見栄を張り行きつく所までいって
妹からは「お前のせいで家族がバラバラになった」
と直接言われて完全にメンタルがイカれちまいました。

親を助ける事が出来なかった自責で何年も苦しみ
激しい摂食障害に苦しみまして
何を食べても味がせず大好きなラーメンの味がなくて辛いもんで
それでも医療事務の仕事は辞めなかったのは
しがみつきたかったからなんでしょうかね

でも後悔はしてないんですよ。
あの時断らなかったら僕の人生じゃなかったから
永遠に僕の人生は来なかったと思うんです

そりゃ僕も優しい人間だから親に喜んでほしかったんですよ
当時は酒に走って壊滅的な生活をして
入院しないと治らないと言われてしまいまして
なまじ医療の知識があるせいで
入院しても投薬療法だけだろうと思いまして拒否しまして
虚無の先についに仙人みたいな生活をするに至ったんですね

炊飯器→いらない釜焚きする
冷房→扇風機で十分
ネット→いらない、携帯と本があればいい
wi-fi→近所のコンビニまたは職場でDLする
ゲーム→全部捨てた
テレビ→絶対要らない、映画を見に行く
暖房→湯たんぽとこたつ(布)ありゃいいだろ

貴重なあの頃の写真()この世界の片隅にのクラファンの海外レポートなど読んでいたなど
宗教と新聞が煩かったので玄関にニャルラトホテプ(邪神)のレリーフを張り付けたら
誰も来なくなった。まじで
3号分炊いて冷凍していく生活
仕事行く前に干した野菜で味噌汁と作っておいたぬか漬けと納豆
この感じはあまり変わらない

あの時代に身についた知識や経験は今でも生きています
ぬか漬けや燻製、スキレットでの調理
コンロの配線抜いたり、野菜を干したり
大概の事は自分でできるようになったんです。

歩いて数歩の公園の山で
目の前にあるコンビニで酒と焼き鳥を買い
星がきれぇだなと黄昏る
そんな楽しい生活をしていた
ある時は日清のカップヌードルを片手に
ある時はじゃがりこを頬張って
チューハイ、缶ビール、日本酒と
飲んだらコンビニに捨てに行くホームレス生活みたいな事を
長い事やったりしました

でもある程度人間がいないと駄目になるので
たまに会話したりあったりする友人が
近くにいたのが本当に、ありがたかった

休みの日には歩いて一人でラーメン屋に行ったり
こじゃれたシフォンケーキの店に行ったり
図書館で本を借りて公園で読んで
新しくできた中華屋に突っ込んで常連になったりしました

重い話をしましたけど
それは全部僕をいい女にしただけです
僕はしっかりしてるけどだらしないんです
これからも多分色々話すと思いますが
1人の人間の物語だと思って聞いてほしいと思います。

クリスマスに居酒屋しよう

そろそろ話を動かしましょう。

その頃の僕は、
1人登山に1人焼き肉1人ボドゲに何でもやれたもんですが
1人居酒屋ってのはあまりやってみた事がなかったんですね

それで僕はクリスマスに1人居酒屋をやってみる事にした
って話が今回の話。
長い枕でしたな。

とある年のクリスマス。
医療ってのはどうもクリスマスは関係ないもんで
その日は土曜日、土曜日の午後になりますと
何の因果か子供の患者さんが熱を出したというのが多く
土曜日の午後休みの病院が多いので
「あのぉ、、今日空いてますか?」という電話が多く
わたくし、会計、受付、電話、掃除、誘導対応を全部やってるもんで
かなり忙しかったのを覚えております。

僕は普通に仕事が終わり家にたどり着くと
居酒屋に行くことに致しました。

目星はついておりました。
と、いうのも時をさかのぼります事、1か月前になります。
病院のA子というかなりの美人でスタイルも良く
僕よりも酒と男関係に壊滅的な生活をしているナースがおりまして
その子とは相性が良くよくラーメン屋の話や酒の話をしたもんですが
こんな話をしたのです。

僕がPCに患者さんのデータを打ち込んでいる時に
スキップしてやってきたA子が「まっつもとさぁん」
と声をかけてきました
話をしたくてうずうずしてるのか声だけで楽しそうな訳で
それでも僕は忙しいのでPCから目を外しません。

「松本さん(仮名)の家の近くに超いい居酒屋あるんですよぉ」
「何が旨いんだい?」
「そこ何頼んでもちょー美味しくてぇ、
からあげとかもう嚙むだけで鳥の脂がじゅわっと溢れてくるんです」
「へぇ、すごいねぇ」
「しかも刺身も分厚くて、
卵焼きも明太子とか乗っててトロットロなんです」
「めっちゃおいしそうじゃん」
「一番の凄い所は、、松本さんが大好きな日本酒の種類が多いんですよ」
「(ついにぐるっと向き直りました)何が置いてあるの」
「(こっそり手を耳に近づけてきて)あの獺祭が置いてあるんですよ…」

獺祭

この頃、サミットで有名になった獺祭は
手に入らない酒と言われておりまして。
実は僕は獺祭は飲んだことあったのですが

怒られちゃうかもしれませんがそこまで好きじゃなかった。

アルコール感が強くて、
よく言えば「the日本酒」
悪く言えば「個性がない」
結局ネームバリューだと思っていました。

ウィスキーの山崎とか白州はテレビで取り上げられて
中国の方々が買い占めたというのがあるくらい美味しいのに不思議ですね。

「へぇ、獺祭がねぇ(なんだ獺祭か)」
「あとあれがありましたよ、なんだっけ、、福島の酒なんですけど」
「写楽とか会津娘とか?」
「ひってつくやつなんですけど」
「え、ま、まさか、飛露喜(ひろき)?」
「あ、それかもです」
「まじか!」

飛露喜という日本酒

飛露喜

飛露喜(ひろき)は純米大吟醸で
会津若松の地酒で一部の地元にしか降ろさず
700mlで4000円は下らない名酒。
あと何より手に入らない。

僕は昔、B級グルメを食べ歩く会と言うのをやっておりまして。
福島の会津若松あたりを探索した時に
大内宿と鶴ヶ城あたりで鶴我という馬刺しの店にノリで入りました。

そこで一緒にいた友人が店のマダムに
「ここら辺でしか手に入らなくておいしい酒ない?」
と,聞いたところ出てきたのがこの飛露喜(ひろき)でした。

あまりのおいしさに馬刺しの味を忘れるぐらいでした。
本当にうまい日本酒は水と化す。
アルコールというよりもはや水を飲んでいるようで、
すっきりと体に沁みゆく感覚を覚えた。
あれから日本酒は地酒がいいなという概念を僕に植え付けたぐらいです、
内心あの酒をもう一度飲みたいと思っていた所だったのです。

「へ、、へええええええそれはいい情報ありがとう」
「いいえぇwいつも松本さんにはラーメン情報もらってばかりなんで」
「いや、こっちもラーメンの話できて嬉しいしね」
「絶対おいしいんで行ってみてくださいね!」

A子はにかっと笑うと来た時と同じように
スキップで仕事に戻っていきました
へぇ、、近くに飛露喜がねぇ、、、飛露喜が、、

そんなことを思っても仕事が激務で
1か月以上経ってしまいましたが
ふと居酒屋の話を思い出したもので
行ってみますかとなったのでございます。

場所を調べてみますと
車で5分、徒歩20分という事で
徒歩で行くことになりました。

それが後々ひどい事になろうとは、、
誰も想像しておりませんでした。

続く。

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