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はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

読んだ瞬間に、ざわざわとした中学生時代の教室の空気を感じた。

ざわついたのは、
耳に残っていたクラスメイトの声だったのか、
私のこころの揺れだったのか。


高校入試前の1月。
中3男子に国語の問題解説をする必要があったけれど、
その日は、大学生の学習アドバイザーが足りない・・・。

コピーライターなので、
国語の読解解説はできるだろうと
急遽、私が担当することになりました。

授業前になり、問題集を開くと、
そこには、私が中3の国語の授業で出会った詩が
そのまま載っていました。



中学1年生の時に、
クラスの威張りん坊な女子の標的になって
つまんないことで言いがかりをつけられるようになって

できるだけ個性を消して過ごした中学時代。

目立たないようにしていたのに、
中2になっても、中3になっても
次々と、異なる威張りん坊な女子が登場して、

「あいつ、ヤダよね〜」と、

遠くから名指しするので、
威張りん坊な女子に群れる女子たちが
クスクスと笑っていました。

とはいえ、
いじめらていたわけではないので
気の合う友人と健やかに過ごし、
部活も、恋も、それなりに楽しんでいました。


中学3年生になって、
進学先を意識するような時期に、
私はこの詩に出会いました。

特にやりたいこともなく、
得意だと思えることもなく、
私らしさは何かを考えることもなく、

出過ぎないように、
尖らないように、
大きな声を発せずに過ごし、

それを疑問にも思わなかった私が、

その詩を読んで、

言葉の美しさと
寛容な情景と
しなやかな強さに、

「あぁ私は自由になっていい」と心が緩んだのを覚えています。





正直、
問題集を開くまで
この詩のことはすっかり忘れていました。

しかし、あの時も今も。

この詩は「私は・・・である」と唱いながらも
〝まだ私は何者でもない〟と伝える描写に安堵します。


私を決めないで。
私はまだ何も知らない。
私にはまだカタチがない。


そして、私はこれからもずっと
知らないことを知ることに喜びを感じ、
何者にでもなれる希望を持ち、

型もカタチもなく生きていきたい。


もういい加減、まぁまぁな大人なんですが・・・。

中学3年生の時の私が
今の私に、それを教えにきてくれたような気がしました。


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  わたしを束ねないで     新川和江


  わたしを束ねないで
  あらせいとうの花のように
  白い葱のように
  束ねないでください わたしは稲穂
  秋 大地が胸を焦がす
  見渡すかぎりの金色の稲穂

  わたしを止めないで
  標本箱の昆虫のように
  高原からきた絵葉書のように
  止めないでください わたしは羽撃(ばた)き
  こやみなく空のひろさをかいさぐっている
  目には見えないつばさの音

  わたしを注(つ)がないで
  日常性に薄められた牛乳のように
  ぬるい酒のように
  注がないでください わたしは海
  夜 とほうもなく満ちてくる
  苦い潮(うしお) ふちのない水

  わたしを名付けないで
  娘という名 妻という名
  重々しい母という名でしつらえた座に
  坐りきりにさせないでください わたしは風
  りんごの木と
  泉のありかを知っている風

  わたしを区切らないで
  ,(コンマ)や.(ピリオド) いくつかの段落
  そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
  こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
  川と同じに
  はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩


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