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老化を受け入れること

この世に生まれてきたことと、死ぬこと。

全ての人間が必ず経験するのは、この2つだと思う。

この身体は有限なので、どんなに頑張ってどんなメンテナンスをしても、毎日少しずつ変化し、老化し、いずれは必ず無くなる。

身体の老化は、メンテナンスをすることで緩やに進行させることはできるが、避けることはできない。

よく、芸能人が「劣化」したと叩かれるが、なんてネガティブで不毛なやりとりだろう。

この言葉の中には、「歳をとった」「シワが増えた」「肌のツヤが減った」などといったニュアンスが含まれていることが多いが、これらは身体が当たり前に歳を重ねた結果であるから、誰に何を言われてもどうしようもない。

芸能人はそれも仕事のうちなのかもしれないが、我々一般市民が、自分に対して「劣化」という言葉を使っても何もいいことが無いと思う。

「劣化」という言葉は「他と比べて品質や性能が悪くなる」という意味だから、今の自分を、他人や昔の自分と比較して貶めるという、自分自身に対するネガティブな呪縛となる。口に出さなくても、心に思うだけでも、だ。

過去の自分は絶対に戻ってこないし、自分以外の人の身体にはなれない。自分をそれらと比較すること自体が時間の無駄で、不毛なのだ。

であれば、今この自分にできること、この身体を使って喜びを感じながら生活するためには何が必要で、何ができるのか。それについて考えを巡らせる方がいい。

今の自分だからこそできることも絶対にあるはずだ。身体は以前と同じ動きをしなくても、その分をカバーする成長した心もあるだろう。

増えた目尻のシワは、もう若さを表現できない代わりに、優しい眼差しを演出して人に安心感を与えるかもしれない。

私たちは、日々の身体の変化や老化に抗うのではなく、「絶対に避けられない変化」として受け入れる練習をしないといけない。

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