良い親とは何か

とんでもない壮大なテーマに手を出してしまった感が強いですが。
良い親とは何か…。


『良い親』
自分で自分のことを良い親と言ってしまうと、自己満足だなぁと思われてしまいそうです。
だから、私達は、誰かに対して、良い親だね、という表現を使います。
つまり、多分ですが、良い親、とは、自分ではない誰かに対して評価する"言葉"になります。
良い親だね、と言われるということは、
誰かから見て、良い、と思われているということ。
外側からのものさしであると言えます。

自分ではない誰かの評価です。これは関与できないし操作できません。
さらに、そのものさしを満足させるためには多大なる努力が必要になる可能性があります。
しかも、そのものさしが満足するかどうかは、関与も操作もできないので、わかりません。
良い親、とは、自分で決めることができない、誰かからの評価です。

ややこしいですが、そんなところかと。
なので、この観点からいくと、良い親という概念にはあまり振り回されないほうがよさそうです。


そして、今度は自分自身に置き換えて考えてみます。
自分は良い親だなぁと思うとき、自分の子どもに対して、良いのか、誰かから見て、良いのか、わからないときがあります。
自分の感覚として良い、と感じているのですが、その根拠が曖昧な時がある。
そこで自分の中に深く入っていくと、過去の、ある時点での、自分の親が自分にしてくれたことと、現在の自分が同じことをしているときに良い親だなぁと思っている、という事実に気がつきます。あくまで一つの例ですが。
ですので、自分の子どもに対して良いことをしている、過去の自分の親と同じことをしている自分、が、良い、と判断している、となります。

過去の自分に対して与えられたことが根拠になっているんですね。
私の妻は、小さいとき、遠方に出掛けて遅い時間に帰宅したときに、「お風呂に入らなくてもいいから、足は洗いなさい。」としつけられて育ったそうです。なので、今も自分の子どもに対する足の清潔に関してはなかなかに厳しい。足の清潔に関しての良い親、と言えるでしょうか。

ここで最初の話とくっつけて考えると、
誰かからの評価、そして、自分に起こった過去の出来事への評価、が、良い親という概念の骨組みであると思われます。骨組み、外枠、つまり、概念。
そうなってくると、それこそ、良い親とは、定義ができない(笑)
考えれば考えるほど、多種多様なものさしで考えられる概念であると、そんなところに行き着きます。

良い親、とは存在しないとも言えるし、どこにでも存在するとも言える。
ものさしの多様さから、そんなイメージに行き着きます。

極端な話、自分で自分を良い親と言えるし、誰かに言われる良い親は曖昧な評価でしかない、ということです。
ですので、良い親という概念には縛られなくてよいわけです。

終わり!


………ちょっと乱暴な終わり方なので、もう少し。
前置きが主題のようになりましたが、良い親という概念が曖昧なものであるということをと
にかく強調したかったわけです。



ここからは、僕の考える、良い親について、僕のものさしにおいて書きます。
ここまでで、曖昧な概念であると説明しましたから、
僕がこれから書くことについても、曖昧なものであり、右から左に流して構わないレベルであるとご認識ください。
なので、好き放題書きます(笑)
いきます。


僕の考える良い親、とは…

子どもに寄せすぎず 子どもを寄らせすぎず
お互いの領分を守り 認め
親子であるけど他人のような
しかしそれでいて
他人にはできないような絶対的な安心感を与えてあげられる
こんなところです。

子どものために塾のパンフレットを並べて吟味する、しかしそこに子どもの意志がないならば、意味がないとすら思います。
子どもから塾に行きたいと言われたならば、一緒に考えたらいいと思いますが、その前に、親のよかれから塾を押し付けてはならないと思います。
勉強ができなくて困っているのは子どもなはずなのに、その困り感を肩代わりして塾に行かせたとしても、思うような成果が上がらない気がします。
テストで100点を取りたいのは子どもであって、親が子どもの100点を自慢するために、子どもが100点を目指すわけではありません。
親のよかれが強いと、そのよかれが達成されないときの揺り戻しが怖いです。
「あなたのためなのよ」がどれだけ子どもの人生を狭めていくのか。
子どもは親の希望を達成するための手段ではありません。
さらに深堀りすると、(いや、邪推でしょうか、趣味が悪いですね。)

勉強ができない子どもの親になることは、その親にとって喜ばしくない、そんな考えが透けて見えてきます。
ここに思考における、感覚における格差が発生します。

よいわるいのものさしで考えると、子どもにとってのよかれ、が、子どもの人生を縛り付けることになる。

どんどん話が大きくなります…。
いったいどこまでこの話題を広げるつもりでしょうか。
まとめに向けて動き出しましょう。

良い親であろうとするばかりに、親のよかれを押し付けては本末転倒。子どもにとってのありがた迷惑になる可能性があります。
なので、私の考えとしては、

子どもに寄せすぎず 子どもを寄らせすぎず
お互いの領分を守り 認め
親子であるけど他人のような
しかしそれでいて
他人にはできないような絶対的な安心感を与えてあげられる


この考えに行き着くと言うわけです。


もっとシンプルに申すならば、
親と子どもは別々の人間ですよ、ということを言いたいわけです。


いやー長くなりました…。

良い親とは何か、から、
良い親に縛られなくてよい、になり、
親としてどんなスタンスでいることが、好ましいのか、
そんなところまで話が広がりました。


それぞれのポイントごとに深めていったら一冊の本になりそうですね。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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