【俳句】母と子、秋の観劇
子「また泣いてんの?」
母「だって、見せ場のグラン・パ・ド・ドゥの音楽が素晴らしかったんだもん。あのパ・ド・ドゥがなければ、いくらチャイコフスキーの作曲とはいえ、きっと『くるみ割り人形』は三大バレエに選ばれてないよね。簡単に言えば上からドーシラソファーミレドーって下りてくるモチーフを繰り返して、これでもかと言うほど感動を煽る音楽に合わせて踊るのが金平糖の精だっていうギャップに萌えるわ〜。西洋の舞台芸術はアニミズム的なのよね。能に近いのかも」
子「演歌聞いて泣くのと一緒だよ。おそらく縄文のときから連綿と受けづがれているがんじがらめの義理人情、その場の雰囲気にのまれて、泣いてブラボーって言って、思いっきり拍手をすれば忘れちゃうんだろ。台風が過ぎるみたいに」
母「なに言ってんのよ、心に沁みるから泣くんでしょうよ」
子「そのシミが乾いたら、すぐにあーお腹空いた〜とか言うんだろ」
母「あっ、プカリチューザがあるじゃん。ここで食べて行く?」
子「ほら見ろ」
母「何がよ」
涙もて心すすぐや食の秋
母「(ウインドーのメニューを見て)えっ……? 高! 同じ系列店なのに東京値段ってこと?」
子「しょーがねーじゃん」
(子、ケータイでメッセージ受信)
母「何よ、あんたも泣いてるじゃん」
子「ユイナから……結婚オッケーだって」
母「うっそ……あんた、結婚するの?」
子「うん、どうせするなら早い方がいいかと思って」
母「あんた、そういう冷静なところあるよね。そっか……まあ、とりあえずお店入ろ」
(テーブルに着き、注文を終える)
母「あんたに観劇に付き合ってもらうのも終わりか〜」
子「一緒に行く人見つければいいじゃん」
母「なに言ってんのよ、今さら」
子「よく話に出る自治会の会計の倉本さんなんてどうなの? 奥さん亡くなって何年も経ってるし、子どもも独立したんでしょ」
母「ちょっ……な……やだ……もう!」
年甲斐もなく林檎かなシミありの
(帰宅)
子「そうそう、俺、結婚式したいんだよね」
母「どこにそんなお金があんのよ。貯めてから結婚しなさいよ。っていうか、新郎新婦の自由意志で式をするかしないかとか、どんな式にするかを決めるっていう風潮はおかしいと思うね。人が死んだら、大概の場合、親戚が集まってお坊さんにお経をあげてもらうっていう、否応なくみんなを突き動かす力が働くけど、なんで結婚に関することは野放しになっちゃったんだろう……家制度への反発? 本来なら、新郎新婦はお人形で、周りの人間たちが動いてことが進んで行くっていうのが生きた習俗だと思うんだけどね」
子「お母さんみたいに、自分のことに忙しくて、子どもの結婚にあんまり興味のない人が増えたからじゃないの? ってか、ごちゃごちゃ言ってるけどさぁ、ド派手な結婚式挙げて失敗した人に言われても何の参考にもならないからね」
母「だまらっしゃい」
子「そもそも、2人分の結婚指輪をお母さんひとりの金で買わされるときに気づくべきだった」
母「あー、女手ひとつで育て上げたひとり息子が母親に向かってこんなことを言うなんて、世も末だわ」
子「お母さんは俺の土台だよ。感謝してる」
母「なに言ってんのよ。なんなら踏み台にでもしてとっとと出て行ってよ」
子「えっ? 踏み台になってくれんの? じゃあそこにしゃがんで」
母「なに言い出すのよ」
子「ほらほら」
母「あんたなんか地獄に落ちればいいのよ。ああ、情けない(涙)」
(しゃがんだ母の背中に立ち、棚の上をごそごそしてから降り、封筒を差し出す)
子「ほら、これ、年金の少ないお母さんの老後のためにコツコツ貯めといたお金」
母「えっ? うそ、やだ、あんた……」
子「前借りして結婚式に使っていいかな?
お母さんに黒留袖着させてあげたいし」
母「あんたのお金なんだから、自由にしなさいよ」
子「サンキュー。老後は心配しないでよ。とりあえず近くに家探すから」
母「ううっ(涙)……こっちのことはいいのよ。まずは結婚後のあんたたちの生活が成り立つようにしないと」
子「うん……そうだね。俺、頑張るよ」
踏み台もよきかなしみじみ豊の秋
(了)
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