【ショートショート】分身夫
「こんにちはー!」
「いらっしゃい、勇輝くん、真知子さん」
真知子は幼稚園に通う息子の友達・尊の家に呼ばれて、初めて家にお邪魔した。
「今日はいっぱい遊んでね。真知子さん、お茶入れるから座って」
「友香里さん、お気遣いなくね」
子供達はリビングに入るなりおもちゃ置き場へ直進し、きゃっきゃと遊びはじめた。
真知子がテーブルの椅子を引いて座ろうとしたとき、背後に気配を感じ、振り返ると恰幅の良いメガネの男が立っていた。
「うわっ!」
驚く真知子を尻目に男は、
「早く遊び終わってくださいね」
と不機嫌そうに言ってリビングの奥の廊下に消えた。
「やだ、友香里さん、ご主人いたの? ごめんなさいねえ、別の日でよかったのに。なるべく早く帰るわね」
「いいのいいの。ごめんね、いつもああだから気にしないで」
母親たちが話に花を咲かせている間、リビングでの遊びをひと通り堪能した子供達は、窓の外に続くウッドデッキに出て遊具で遊び始めた。
「あらまあ、私、ちょっと見てくるわね」
真知子がウッドデッキへ出て行くと、リビングからは死角だったところに友香里の夫がいた。
「まだいたんですか?」
「あ……す、すいません、すぐ帰りますので」
真知子の返事を聞き終わらないうちに、夫はくるりと向きを変えてリビングへ戻った。
「さあ、勇輝、あと3回滑り台したら帰ろうね」
「ええー、やだー、もっと遊ぶ」
「僕も、もっと遊びたい」
子供達は真知子から逃げるように走ってリビングに入り、そのまま2階へ上がっていった。
「まったくもう。見ていないで大丈夫かしら?」
真知子がキッチンに立っている友香里に尋ねると、
「夫が見てくれるから大丈夫よ。ねえ、これ食べてみて」
と、焼き上がったばかりのパイをテーブルにのせた。
「あら、美味しそう。いただくわ」
程よく胃袋が満たされて、真知子自らお皿をキッチンに下げようとカウンターのそばへ行くと、シンク側からぬっと夫が出てきた。真知子はひゃっと体をびくつかせたが、
「あ、もう終わるので」
と言うと、夫はため息をつきながらリビングを通らずに出て行った。歓迎されなさもここまでくると笑えてくる。夫を抜きにすれば居心地が良いので、いっそ開き直ってとことん居座り続けてやろうかなどと、意地の悪いことを思ってしまう。
「はあ……あれ? そう言えばご主人って、今2階にいるんじゃなかった?」
と真知子が友香里に聞くと、
「ええ、2階にもいるわよ」
「2階にもって……どういうこと?」
「うちの夫、分身するのよ」
「分身!? なになに?」
真知子は椅子に座って前のめりで友香里に尋ねた。
「今は3体になってるわね。会社へ行ってるのと、2階にいるのと、私たちのことを見守っているのと」
「そうなの!?」
「結婚後に術を身につけたのよ。会社に行っている間、私たちのことが心配だって」
「さっき今は3体って言ってたけど、もっと多く分身可能ってこと?」
「ええ、最大7体に分かれたことがあるわ。さすがにそのときは『疲れた〜』って言って14時間近く爆睡してたわね」
「そりゃそうよねえ」
「ひとつ分の体力が分散されてるだけなのよ」
「だったら、3体でも十分大変じゃない」
「でもあの人、学生時代に柔道やってて体力には自信があるのよ。あ、あと、毎晩寝る前にプロテイン飲んでるわね」
「それよ、それ! 効果覿面だわね」
「分身の経験したことも本人に引き継がれるから、話が噛み合わないってことがないのよね。ちょうど漫画の『ナルト』の影分身の術みたいな……便利でしょ?」
「う〜ん、そうかしらねえ……」
真知子はあたりを見回して、ひそひそ声で友香里に尋ねた。
「ねえ、四六時中一緒だと、わずらわしくなったりしないの?」
「最初のころはそう思ったりもしたけど、慣れたら、もう術なしじゃいられないかな……ほら、現に今、子供達の面倒見てくれてるし、そばにいてくれると私も安心だし」
束縛したい・されたいの持ちつ持たれつってことか……いろんな夫婦がいるわよね……などと真知子が思っていると、2階からバタバタと音がして、相変わらず不機嫌な夫が子供達を連れてきた。
「ママー、楽しかったー!」
勇輝が真知子に満面の笑みで抱きついてきた。
「良かったね、勇輝。あ、ご主人、ありがとうございました。私たちはそろそろおいとましますね」
真知子たちが帰ることが分かると、とたんに夫の表情が緩み、
「そうですか、お気をつけて」
と嬉しそうに言った。玄関前まで出てきた親子3人に見送られて、真知子と勇輝は何度も振り返って手を振った。角を曲がってから、ご機嫌な勇輝に真知子が聞いた。
「勇輝、尊くんのパパと何して遊んでたの?」
「うんとねー、忍者ごっこした」
「忍者ごっこ? どんな?」
「あのねえ、2つに分かれるやつ」
「え!? 分身の術? ……できた?」
「うん、薄いのがひとつ出た」
「えっ……? 尊くんは?」
「尊くんは、ひとつはおんなじ尊くんと、あと薄いの出た」
まさかあの狭量な夫が修行をつけてくれていたなんて……もし勇輝が分身の術を会得したら、使いようによっては、何かしら成功を手にすることができるのではないか……真知子の中でどす黒い期待が渦巻いた。あの夫の態度は褒められたものではなかったが、勇輝に術を伝授してくれるなら、また訪ねてもいいかなと思う真知子であった。
(了)
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