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【短編小説】カット!
「郵便屋さん、収集お願いします」
「はい、今行きます」
郵便局の鵲支店に務める三浦沙耶は、毎月末に本店に呼ばれ「思い断ち切り隊」の精鋭として9度目の勤務にあたっている。断ち切りたい思いを書いた手書きの手紙を収集し、局に戻ってから処分するのがこの仕事の大まかな内容である。収集車は3台出ていて2人1組で行動するのだが、沙耶の相方は4つ年下の鶯支店勤務の青柳達彦で、今回は5度目の参加である。
朝の9時から11時が収集時間だが、手紙は手渡しでなければならないので、渡したい人は自宅のポストに赤い旗を立てておくか、もしくは収集車まで直接持ってくる。1通300円の切手が貼ってあれば1人につき何通でも収集する。
「青柳さん、こっち来て」
通りの向かいに立っていたおばあさんが声をかけてきた。青柳がこの老婆から直接受け取るのは今日で3度目である。
「はい、ただいま参ります」
青柳は表情には乏しいが、真面目で信頼できる後輩である。まだ20代前半で上背もあり端正な顔立ちをしているので、何人かの年配の婦人たちは、青柳目当てに大した内容を含んでいない手紙を渡してきたりする。
収集時間も終わりに近づき、最後の通りに出たときに、母と娘が行手に立ちふさがった。
「またあの親子だ」
沙耶は親子の近くに停車させ、青柳と2人で降りた。
「郵便屋さん、これお願いします!」
神経質そうな初老の母親が、両肩を押さえて制止してくる娘を振り切り、早く受け取ってとばかりに頭上で手紙をパタパタ振っている。
「あのー、ご本人から渡されないとお受け取りできないんですが……」
沙耶が気まずそうに答えると、
「そうだったわね。ほら、桜子、お渡しして」
と母親が娘に手紙を持たせ、両手で娘の手をぐっと掴んで沙耶の前に突き出した。娘は今にも泣きそうである。
「ご本人の意思でないものは、いただいても効果はありません」
と沙耶はきっぱりと言い放った。
「大丈夫です、これはこの子が自ら進んで書いたんですから。誰かに読まれるのが恥ずかしいだけです」
「それではなおさら受け取れないですね」
母親は沙耶のその言葉を聞くと急にうろたえ、涙声になって訴えた。
「お願いします……こうするしかないんです、この子を救ってあげるには……」
母親の目から光るものが落ちるのを見た娘は、その姿に打たれたのか、自ら沙耶に手紙を差し出した。
「すいません、お願いします……」
娘も泣いていた。沙耶はその手紙を両手でしっかりと受け取った。
「承知いたしました」
母と娘は道端に立ち、収集車が出発するのを見送った。
「またあの不倫相手のことですかね」
親子の姿がミラーから消えると青柳が言った。
「うん、多分ね」
「これで何回目ですか?」
「私が知ってる限りでは4回かな……」
「もはやパターン化された茶番ですね」
「多分あの親子は、ああやって愛情の確認をしているんだと思う」
「器用なんだか不器用なんだか」
青柳のつぶやきに沙耶は苦笑いした。
2人が本局へ戻ると、他の2台はすでに停めてあった。
「また残業コースですかね」
青柳がなぜか嬉しそうに言った。
「そうならないように頑張ろう」
沙耶と青柳はそれぞれが収集してきた手紙を持って、「思い断ち切り隊」の仕事場である最上階の北東の隅の部屋へ向かった。この部屋には結界が張られており、四隅には塩とお札が目立たないように貼ってある。手書きの手紙には念がこもるので、清浄を保つためである。これは、提携先の神社が「思い断ち切り」の依頼が増え裁ききれなくなり、郵便局とタッグを組んで行なっているプロジェクトなので、その神社の行者が張ったものだ。
部屋に入ると、既に手紙を読み始めている4人と軽く会釈を交わし、沙耶と青柳は席に着いた。今回集めたのは、沙耶が21通、青柳が28通である。パソコンを使い、1通目を通すごとに、統計のため該当の項目にチェックを入れる。その項目は、道ならぬ恋、故人への思い、水子、恨み、執着、後悔などである。何枚書かれているかも忘れずに入力する。読み終わったら「カットします」と皆に聞こえるように言うと、皆一度手を止めて軽く一礼する。手紙の念をひとりで背追い込まないために必要なアクションである。それから一行ごとにハサミで切り込みを入れ、全ての文字を半分に切る。手で切らないと念を断ち切ることができないので、小説のような長い手紙でも機械は使わない。切った紙は袋にまとめ、お札を貼り、最後まで残った2人組が車で3分のところにある提携先の神社にお祓いのために持ち込む。これが収集後の作業の流れである。
人には言えないようなことが手紙の中に吐露されている場合が多いので、とりわけ感じやすかったり憑依されやすい体質でなくても精神的にやられてしまう人が多く、沙耶のように半年以上続けているのは珍しい。
青柳の前任者の男は2度目の勤務のとき、手紙を読んでいる途中に突然ガタガタ震え奇声をあげ始めたので、この仕事をしていた嘱託社員が行者に連絡を入れた。行者はすぐに来て、暴れていたため皆で取り押さえていた男に除霊をほどこした。ものの数分で男は落ち着きを取り戻した。行者は男に「君は受けやすいから、この仕事には関わらないように」と注意を与え、部屋の除霊をしてから男を連れて出て行った。衝撃の出来事を目の当たりにした沙耶は、見えない力は存在するのだということを知り、心を入れ替えてこの仕事に臨むようになった。それから2か月後、2度目の定年を迎えることになった嘱託社員は、有事のときの行者への連絡を沙耶に託して去っていった。
青柳は「思い断ち切り隊」の募集を見て好奇心から応募したら、他に手を挙げた者がいなかったのですぐに採用となった。しかし新鮮だったのは2か月目までで、1人の依頼者が同じ内容を繰り返し手紙に書いていることが多いことに疑問を持ちはじめ、一連の作業を疑ってかかるようになった。ハサミを入れる作業で思いが断ち切れるのなら、なぜあの親子は毎度あんな茶番を演じなければならないのか。青柳を先の大戦で南洋に散った婚約者と重ねる老婆は、「あなたさまを置いて結婚して申し訳ございませんでした。今でもあなたさまを心からお慕いしております」などと、なぜ何度も書かなければならないのか……青柳には、この仕事自体が茶番に思えてきて、情熱が冷めつつあった。
今日の作業も最後まで残ったのは沙耶と青柳チームだった。切った手紙を入れた袋に札を貼り、車に載せて2人で神社へ向かった。受け付けに預けてすぐに局へ戻り、駐車場にある自動販売機の前で缶ジュース片手に沙耶と談笑するのがこの頃の青柳の楽しみである。
「今日もお疲れさま。はあ……疲れたね」
「三浦さんでも疲れるんですか?」
「何それ、当たり前じゃん」
「いや、なんか楽しそうに仕事してるんで」
「それと疲労は別だよね」
と笑いながら沙耶は言った。青柳はコーヒーをひと口飲み下すと、急に真面目な顔になり、沙耶に日頃の疑問を投げかけた。
「僕、最近分からないんですよ。この仕事の意味が」
「え?」
「思いを断ち切るっていっても、結局同じ内容のものが多いじゃないですか。全然断ち切れてないよなぁって……なんか僕らのしてることって不毛だなって思いますよ。結局、他力本願じゃ何も変わらないってことなんじゃないですか?」
「うーん……成果を求めてる人ばかりではないっていうことなんじゃないかな。手紙を書くことによって、自分の気持ちが整理されたり、ふっきれたりすることもあるんじゃない? おばあさんにとっては、今まで誰にも言えなかった婚約者への思いを吐き出すことで罪悪感を少しでも和らげようとしてるとか、あの親子だって、あれがひとつのコミュニケーションになってるんだとしたら、こういう仕事があってもいいんじゃないかなぁって思うよ」
成果を求めてる人ばかりではない……青柳にとって、沙耶の言葉は目から鱗だった。いつも何かしらの結果を出そうといる自分では考えてもみないことだったのである。言葉を変えれば、「思い断ち切り隊」は人の思いを断ち切るだけではなく、断ち切ろうとするプロセスそのものを支援し、依頼人の心の潤滑油となるような存在ということだろうか……殺伐としていた自分の心に泉が湧き出たようだった。そして、そのように解釈できる前向きな沙耶をうらやましいとも思った。
「三浦さん、この仕事気に入ってるんですね」
「まあ、嫌いではないかな。自分ではどうにもならないことを誰かと共有することによって、少しでも救いになるっていうか……そういうことが必要な人に、小さなきっかけを与えることはできてるのかなぁ……寄り添うっていうのかな」
「へえ……三浦さんて見た目とは違って優しいところがあるんですね」
沙耶は顔を真っ赤にした。
「えっ、ち、違うよ、別にそんなんじゃないけど。でも見た目と違ってって何? 青柳くん失礼だよー」
二人は笑い合った。
「でもさ、精神とか心を揺さぶられる仕事してるのに、青柳くんはいつもブレないよね。冷静沈着というか、自分をちゃんとコントロールできてる感じ」
「そんなことないですよ。僕だって感情に動かされるときもありますし」
「本当? どんなとき?」
青柳は沙耶の頬に手を添え、軽くキスをした。
「こういうときです。自分ではどうすることもできませんでした」
「カット! シゲさん、最後の台詞拾えてた?」
「確認しまーす…………はい、大丈夫でーす」
「オッケ〜イ」
と言いながら監督は立ち上がって、自動販売機の前に来た。
「いやあ、今の2人とも良かったよ、感情入ってて。俺モニター見入っちゃったよ〜」
「ありがとうございます」
「クランクアップまでこの勢いで頼むよ。今日の撮影終わりね!」
「では、文化庁助成・霊性啓発ウェブムービー『神様がくれた恋心』第4話の撮影を終わります。三浦沙耶役の槙原春佳さん、青柳達彦役の結城昴くんでした。お疲れ様でしたー!」
*
春佳がスタジオを出て駅へ向かって歩いていると、
「槙原さん」
と後ろから声をかけられた。結城だった。
「結城くん」
「駅に行くんですか?」
「うん」
「俺もです。一緒に行っていいですか?」
「もちろん」
「いつもはマネージャーと帰ってますよね。今日はいないんですか?」
「うん、違う撮影現場に行くんだって」
「こんな時間からですか? 大変だなぁ」
「うちの事務所、小さいのに役者が多くて、何人も掛け持ちしてて……彼女、結婚したばかりなのに、ちょっと気の毒だよ」
「芸能事務所って大変そうですよね。俺なんか、映画学校の先輩から声かけられて来ただけで、仕事って感じじゃないんで」
「でも、あれだけ演技ができるんだからすごいよ。けっこう重めの話なのに」
「いやぁ……俺、本当は裏方志望なんですよ」
「もったいない! 自分の才能自覚してよ」
春佳のツッコミに結城ははにかみ笑いを浮かべた。話しているうちに、いつのまにか駅に着いていた。
「結城くんって役と違って話しやすいんだね」
「同じところもありますよ」
「どんなところ?」
結城はいきなり春佳に口づけした。春佳に優しく微笑みかけてから、後ろ向きに数歩進んだ。
「俺JRなんで。あ、今のはカットしないでくださいね。本気のやつです」
激しい動悸に思考力を奪われた春佳は、結城の姿が見えなくなるまでその場から動けなかった。
(了)