#1390 「教育の答え」を探し求め続ける~教育を哲学し探究する~
教育は「哲学的営み」である。
なぜなら、「絶対的真理」が存在しないからである。
「こうすればうまくいく」「こうすれば子どもが育つ」という「答え」が存在しないのである。
よく教育論文や教育書などには、数値という客観的なデータとともに、「こうしたらこんな良い結果が出ました」という「いかにもな答え」が書かれている。
しかし、それを第三者が「仮の答え」として受け取り、自分の学級で実践しても「うまくいったり、いかなかったり」する。
それは「仮の答え」にすぎず、「絶対的真理」ではないからだ。
教育は「科学的に数値化できない営み」なのである。
では、「教育の答え」は存在しないのだろうか?
「存在しえない」とも言えるだろうし、「存在するから追い求めるべき」とも言える。
つまり、「答えを探し求め続ける」のである。
「探究」し続けるのである。
この姿勢こそが、まさに「絶対的真理」なのである。
だからこそ我々教師は、教育書を読み漁り、ときには教育書自体を生み出し続ける。
教育論文を読み続け、ときには教育論文を書き続ける。
この営みに「答え」や「最終地点」「ゴール」は存在しない。
「教育の答え」は、哲学的に探し求め続けるべき存在なのである。
これは、無限に続く営みなのである。
「教育」というのは、複雑で葛藤を強いられる哲学的営みなのである。
だからこそ、「本質」や「共通了解」を求めるために、サークルをつくり、仲間をつくり、「教育の答え」を探し求めるために語り合っていくのである。
だからこそ、教師が10人いれば10通りの「教育の答え」が語られ、教師が1万人いれば1万通りの「教育の答え」が語られるのである。
「正解」は存在しえないとも言えるし、「正解」を探すために追い求め続けるべきとも言えるのである。
私はこれからも「教育という営み」を哲学し続けていきたい。
「教育の答え」を探究し続けていきたい。
では。