#1588 知識よりも知恵のつく授業を
最近の教育の流行は、「自己調整学習」「自由進度学習」「けテぶれ」などの「自己教育力」「自己学習力」「自律的学習力」を高める実践ばかりである。
たしかに、これらの実践はとても重要である。
しかし、このような子どもの「自律」「自己学習」を促してばかりだと、「教師」という存在の価値がなくなる。
教師が「AIロボット」と代わりない存在になってしまうのだ。
子どもに「学習進度表」を手渡し、あとは自力で学習できるように伴走する。
「ゆるやかな協働性」の中で、仲間と対話・交流・協働しながら学習を進める。
しかし子どもたちは、教師があらかじめ敷いたレールの上を、何の疑問もなく進んでいるだけである。
無味乾燥な「知識」をただただ獲得しているだけなのである。
そのような授業設計なら、「AIロボット」でも代用可能なのである。
以下の記事で私が懸念した通りである。
#1579 「主体的」という名の忖度|眼鏡先生 (note.com)
#1582 自律的な学びか他律的な学びか|眼鏡先生 (note.com)
上記の記事でも書いた通り、このような「レールの上を自由進度で学習する授業」だけをしていても、あとで活用できない無味乾燥な「知識」を得て終わりである。
教科書に書いてある知識を獲得しても、ワークテストでは良い点数をとれるかもしれないが、これからの人生で何の役にも立たないのである。
以下の記事に書いた通りである。
#644 学校的課題ではなく社会的課題を|眼鏡先生 (note.com)
#773 教科書は汎用性が高いが真正性は低い|眼鏡先生 (note.com)
そこで必要になるのが「オーセンティックな文脈」「真正性」である。
このキーワードについては、過去の様々な記事で述べてきた通りだ。
#565 真正な評価のススメ|眼鏡先生 (note.com)
#774 オーセンティックな学びがコンピテンシーを育成する|眼鏡先生 (note.com)
#777 有意味なゴール設定~文脈の一貫性~|眼鏡先生 (note.com)
#783 真正なパフォーマンス課題=練習試合|眼鏡先生 (note.com)
#787 認知リソースと状況リソースにより知識が生成される|眼鏡先生 (note.com)
#984 「活用ありき」の単元デザイン|眼鏡先生 (note.com)
これらの記事で書いた通り、教科書に存在しない「オーセンティックな文脈」「真正性」を授業に取り戻すのである。
これにより、「学校くさくない」「よりホンモノに近い」学びを進めることができる。
このような「オーセンティックな文脈」で獲得された知識は、いわば「知恵」ということができる。
無味乾燥な「知識」ではなく、実際の生活場面に生きて働くような「知恵」を獲得することができる。
つまり、知識を「活用」「応用」「転移」させることができるのだ。
「転移」についても、過去の様々な記事で書いてきた。
#655 教科内容×見方・考え方=コンピテンシーの育成|眼鏡先生 (note.com)
#669 コンフリクト→内化→外化→リフレクション|眼鏡先生 (note.com)
#701 既習の活用を促すために|眼鏡先生 (note.com)
#903 系統的指導→概念理解→転移・活用|眼鏡先生 (note.com)
#1117 転移する知識の条件|眼鏡先生 (note.com)
#1497 抽象的な知識を帰納的・社会的に獲得する協働的な学び|眼鏡先生 (note.com)
#1501 「転移する学力」を育成するには?|眼鏡先生 (note.com)
#1504 学力の三層構造と創出・受容・転移|眼鏡先生 (note.com)
これらの記事で繰り返し述べているように、教科等特有の見方・考え方に根ざした「概念的知識」を獲得することが重要となる。
それが「知恵」として、実際の生活場面にも活用することができるのだ。
そのためには、授業に「オーセンティックな文脈」を付与し、「概念的知識」を明示的に指導してくれる「教師」という存在が欠かせない。
そして、意図的に組織される、教室の仲間との「協働的な学び」が欠かせない。
そのような「自然な文脈」で学習することが、子どもに「学ぶ楽しさ」を与えてくれるのだ。
「学習進度表」通りの無味乾燥な「勉強」ではなく、よりホンモノに近い「旨味」のある「学習」をすることができるのである。
そのために教室には「教師」が必要で、「教材研究」が必須なのである。
ぜひとも、人生で役に立たない「知識」を獲得させる授業ばかりではなく、活用・転移ありきの「知恵」を獲得させる授業を志向していきたい。
では。