短歌人評論・エッセイ賞佳作受賞スピーチ
(2024年7月20日、短歌人夏季集会において、第23回高瀬賞および第50回評論・エッセイ賞の授賞式がありました。私は評論・エッセイ賞の佳作をいただいたので壇上でスピーチをする機会をいただきました。本記事はそのスピーチを文章としたものです。文章にするに当たって、当日のスピーチから表現を若干変えたところがあります)
まずは夏季集会の企画・準備から開催まで尽力していただいた編集委員を初めとする結社の皆様に心より感謝申し上げます。そして、このたび短歌人評論・エッセイ賞の佳作に選んでいただきましたが、選んでいただいたことよりも拙い文章を最後まで忍耐強くお読みいただいた選考委員の皆様にもお礼申し上げます。ありがとうございました。
さて今回、小池光さんが「玉城徹の歌について」という講演をされるということで、私も予習をしておこうと思ったんですが玉城徹の歌集って今はなかなか手に取れない。アンソロジーなんかにも入っていないということで、なかなか読む機会がない。たまたま大阪府立図書館に短歌新聞社の『左岸だより』があったので取り寄せてみたんですが、まさか広辞苑ほども厚さの本が来るとは思わなかったので、ほんの少ししか目を通すことができませんでした。でも、最初の方にこんなことが書いてありました。少し読んでみます。
私の評論では、現代はハイパー・メリトクラシーを背景として「当意即妙」が強く求められる社会になっており、それが短歌にも反映されている、ということを書きました。この部分、選考委員の評価はよろしくなかったんですが……、それはともかく玉城徹の文章にはそうした「当意即妙」性とは正反対のことが書かれてあったので驚きました。しかし現在、短歌ブームの中で上手く立ち回ってインフルエンサーを目指すべき、という風潮がある中でそれに乗れない――乗ろうとしても乗れないわけですが――私はこの言葉を読んで勇気づけられました。
私には自分のやっていることが芸術だというほどの自負はありませんが、それでも、ゆっくりと時間をかけてもいいんだ、と思わせてくれる言葉です。
これからも遅々とした歩みになると思いますが、歌も評論も続けていくつもりです。結社の皆様からのご指導ご鞭撻を今後ともよろしくお願い致します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?