生涯にまはり燈籠の句一つ(高野素十)


最近、戒めとして着ているTシャツ

生涯にまはり燈籠の句一つ

高野素十『初鴉』

 俳人・高野素十の代表句のひとつで、「須賀田平吉君を弔ふ」の前書きあり。
 この須賀田氏というのはどうやら無名のままに終わった俳人のようだ。句は「故人は俳句はそれほど巧くもなかったけれど、あの廻り燈籠の一句だけは皆が唸ったことだなあ」というぐらいの意味か。
 しかし、このように詠まれたからと言って、その廻り燈籠(走馬灯)の一句が世に知られるようになったということもなく(インターネットを検索するとどんな句だったかはわかる)、かえって素十の句の方が有名になっている。これもアイロニーか。無名の「生涯」と「句一つ」が釣り合うということ。その寂しさと救い。そして、それが偶然にも「まはり燈籠」の句であったこと等、読者として感じ入るのである。
 さて、須賀田氏は辛うじて生涯に一句を残したわけだが、現世的な観点から見ると、俳句でも短歌でも無名で終わるよりは自分の作品をより多くの人に読んでもらい、それが評価されて名を成す方が良いことのように思える。時には、とにかく名を挙げないと詩歌の世界で「生き残れない」とすら思っている人までいるようだ。しかし、本当にそうだろうか。
 このようではない観点もある。詩歌をやっていると見えづらくなってしまうことなのだが、世の中のほとんどの人は一句も一首も、一篇の詩も残さず世を去っていくものなのだ。この観点からすると、その生涯に詩が、文学が自分のそばにあり、それが誰かほかの人の心に響いたというだけで、それは驚いてよいことだと思われる。
 この観点を一歩進めると、もはや生涯に一句も一首も残せなくったっていいということになる。自分の生涯に自分で作った俳句・短歌・詩があること、もっと言えば、自分の生涯に自分で作った俳句・短歌・詩が、文学があって欲しいと願うその瞬間にこそ――永遠という観点から見れば――真実の輝きが満ちているだろう。
 安心してよいのは、現世的な観点から離れてしまっても、俳人・歌人や詩人、あらゆる文学者は「生き残れる」ということだ。その内側に火が燃え続けているのなら、走馬灯は廻り続ける。


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