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ときどき考えること ⑮ 

母校の中学入試で「英語スピーキング」と「日本語作文」という科目選択ができるようになった。

「日本語作文」の課題を嬉しく思う一方で、複雑な思いを抱いた。

私は、この学校で習得した英語力を誇りに思っている卒業生だ。
アメリカの高校生活と大学院での課題の読解やレポートなどに困ることのない英語力をつけてもらった。

私は、大学で外国語学部に通っていたけれど、学科はポルトガル・ブラジル語学科だった。

英語を習得したのは、高校までの期間だと言えると思う。

だから、少しがっかりした。

私はー「日本語作文」のみで自信を持って試験してほしい。

そして、英語力は

入学後、自信を持ってきちんと育てますーと言ってほしかった。

そう思ったからだ。

私自身は、父が塾をしていたこともあり、小学4年生の終わりに英語を公立中学校の教科書を中心に勉強を始めた。そして、母校の中学校に入り、授業が物足りないことも、難しすぎることもなく、6年間、いや7年間、しっかりと英語の土台を作ってもらったと思う。

高校時代は、3年間、いや4年間ずっと英語の担当をしてもらった先生が大嫌いで、いろんな意味で彼女の上を目指して、意地になって英語の勉強をした。授業は、1年生のときに、あと3回欠席したら「単位やらないよ」と言われるほどに、ほどほどにさぼりながらも・・・。

大学に入ってすぐに受けた英検準1級は難なく合格、初めて受けたTOEFLも、アメリカの大学院に入学するのに必要なスコアを当たり前のようにとった。

アメリカ大学院留学のための奨学金申請で必要だった英語力証明も、母校の校長が書いてくださった。

1つには、逆に、英語力を見てしまうと、入学後の授業がやりにくくなるのではないかと、少し心配でもある。

そして、10分で見えてくる「英語力」ーしかも算数・国語などを使った試験もある中で選んでくる「英語スピーキング受験」ーきちんと英語力の差が見えるとは思えない。

そもそも、その試験で知りたい力とは何なのだろうか

毎日、「英語」「英語」と踊らされている子どもたち、大人たちを多く見ている私たちからすれば、入学試験に英語のスピーキングを入れるというのは、逆に、小学生の間に培うべき良い素質を失わせる選択肢のような気がしてしまう。

一方で、作文力というのか、作文で見えてくる母語による理解力、思考力、表現力は、試験にいる、いらないに関わらず養いたい能力である。

それを小学生対象の試験科目にするのなら、作文だけで良いのではないかと思うのは、理想を追いすぎているのだろうか。

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Terakoya Kamei
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