なにかができるはずだから
定期試験リレーが続いている。そして、そのリレーはテスト返しリレーともなっていく。
以前、テスト冊子に書かれている注意事項について書いたけれど、それは忘れたころに出てくる違和感なのだけれど、毎回のように、私はテストの内容以上にまず、問題用紙、解答欄に不満を感じている。
とにかく、文字が小さすぎたり、詰まりすぎていたり、薄かったり、余白が少なかったり、やる気が失せる問題用紙が多く、解答欄も細かすぎるのではないかと思う。
つまり、作る人の都合ばかりで、受ける人に優しくないのだ。
それは、いろいろな特性を持つ生徒たちへの配慮という面で考えると、首をかしげるだけではなく、憤りを感じることがまであるものだ。
以前、「てらこやのひび ⑤」でも触れたのだけれど
読み書きがすこぶる苦手な生徒がいる。根っからの怠け者でもなく、理解力が悪いわけではない。
そんな生徒たちの返却されたテストを見ながら、改めて、多様性だとかSDGsって高らかに掲げる世の中の宝である子どもたちを育てる学校のこの愛情の足らなさは何だろうと悲しくなる。特性を持つ子どもたちを受け入れると決めた時点で、対応を少しずつ改善してしかるべきものなのに、気が付けば、私がこの仕事を始めた約25年前から、状況は改善されていない気がする。
聞くところによると、ユニバーサルデザインフォントというものがあり、少しでも多くの人が読みやすいフォントが考えられているという。
今回、一部、そんな文字を使ってくださっている教科のテストもあったのだけれど、スペースの関係なのか、文字が小さかったり、余白が少なくてもったいない感じになっていた。予算の都合などもあるのだろうけれど。
私たちは専門家ではないので、診断ができるわけではないけれど、ディスレクシアやほかの特性によって、文字が読みづらいのではないかという生徒が少なくはない。
適切な文字を使い、文字を少し大きくして、少し間隔をあけるだけで、少し彼らの学びが楽になり、彼らも努力をする気になれるなら、そんな対応をぜひ考えてほしいと思う。
ちょっとした工夫があるかないかで、私たちの大切な子どもたちの貴重な才能が、開花するか枯れてしまうかが決まってしまうなら、私は、ちょっとした工夫をお願いしたいし、自分も続けたいと思う。