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誇りと優しさの関係

今日は1日、母の病院に付き合っていました。

もともと出不精の私ですが、最近は出歩く度に、考えに沈むことが多いので必要最小限の外出に留めています。

世の中、便利になっているのだろうか。
そして、便利さとは何なのだろうか。

と、思うのです。

今「便利だとされる世の中」は、あまり、人に優しくなくて、人が住むのに適していないのではないかとまで思うことがあります。

普段の生活で
そんな風に感じることが増えている今、

今度の震災で集団避難ではなく、集団移住の話をする人がいるということを聞いたり、読んだりすると、私は、35年前に10か月ほど暮らしたアメリカのテキサス州で感じたことを思い出します。

日本がアメリカに勝てるはずがないーそう感じ

日本とアメリカの大きな違いの1つが

田舎の人が、若い人も含め、自分たちの住む地域や自分たちの生活に誇りを持っているということだと、16歳、17歳の私は思ったのです。

そして、私たちと同じように時には大人たちの言動に呆れながらも、子どもたちが大人に敬意を持っているのは、そんな「誇り」を持った大人たちだからではないかと思ったのです。

日本の田舎に住んでいて

その「誇り」を感じたことはあまりありませんでした。

私は、それをなんとか変えることはできないか、と考えて、17歳のとき父の後を継いで塾をしたいと思ったのです。そして、私が、今でも飯南町での出会いと経験を大切にする理由は、そこで出会った人々にはその誇りを感じたからです。

そして、「誇り」をまだ感じられないと思うたび、心が沈みます。

自分たちに誇りがあるということは、相手の誇りを大切にできることだと私は思います。だから、私は今でも私が高校の10か月を過ごした人たちに大切にしてもらえ、私も彼らを大事に思っていられるのだと思うのです。だから、文句を言い合いながら、母のそばでそれなりに幸せににいられるのだと思うのです。

自分たちの生活における基盤である地域を大切に思い、自分たちに誇りを持っている人たちは、

簡単に「移住」には与しないだろうし、「便利さ」以上に大切なものを大切にできるのではないか、

そんなことをまた、考えてしまった1日でした。


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