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学習塾にできること 

今年の夏休みー

夏休み 子どもの居場所 プロジェクト 2024として
新しい取り組みを行った。

そして、そのためにクラウドファンディングを行った

あっという間に、最初の目標額を達成し、2つ目の目標として支援者25名を掲げたけれど、期限残り1週間ほどのときに達成できた。そして、3つめの達成目標ということで50万円を掲げてそれも達成できた。

その支援者の半分以上が卒業生だったことを、私はとても嬉しく思った。

そして、その中にいた平成3年生まれの2人

「先生、塾続けるのに経営に困ったら、卒業生から『寄付』募ったら?」と高校時代、寺子屋に通ってくれていたときに2人が言っていたのを思い出した。

そのとき、私が

「君らがまず寄付してくれるってこと?」

と、聞いたら、

ーえ、ぼくらは取立人したるわ。

というので、

高校生当時、ときどき髪をオレンジ色やら金髪やらにしていた彼、

「いや、君が取立人だと、恐喝と間違われる・・・?」

なんて笑っていた。

そんな二人が、何気なくしてくれた支援に、いろんな思い出が蘇った。

また、1日目に、高額の支援をしてくれた卒業生くん。北陸の方で医師をしているのだけれど、節目節目に連絡をくれている。

寺子屋には中学3年生まで来てくれていたのだけれど、医学部を志して、他の科目の方が心配だから・・・と、一度は高校からも来る希望を出してくれていたのに、撤回したときの彼の涙いっぱいの目が、私には忘れられない。

そして、学生の間、浪人時代の2年を除いて毎年のようにお顔を出してくれたり、連絡をしてくれたりしていた。

彼が、大学生になって初めて来てくれたときに言ってくれた言葉を私は今でも覚えている。

ー僕、この塾が好きだった。そして、良い塾だと思う。だから、〇〇大学合格なんて貼りだす塾にはならないで。

街を歩いたり、車を運転していて、そんな貼り紙を見る度、彼を思い出す。

そういえば、そんな彼も平成3年生まれだ。

また、プロジェクトをサイトにあげて10分も経たないうちに支援をしてくれた卒業生くんも、思い出深い生徒だった。

中学1年生の最初の中間試験の3日前に入塾してきて、thisとthatもあやふやだった彼。いろんなことでこっぴどく叱られまくっていたけれど、高校卒業まで通い続けてくれた。

旧帝国大学と言われる大学の1つに進学、大学院を経て、現在東京で働いている。

「僕にとっても寺子屋は、居場所だったから」

思いがけず、とても嬉しいメッセージだった。

センター試験の前日、「緊張で吐きそう」と言いながら、自習の中学3年生たちに数学を教えていた彼ー

今は会社で人事部に所属しているという。人を大切にして、つながりも大事にする彼には、やりがいのある仕事かもしれない。

この夏のプロジェクトは、

寺子屋のこれからを考えるプロジェクトでもあり、今までの軌跡をたどるプロジェクトでもあったのかもしれない。

内田樹さんの本(言葉)にあったように

「母港としての母校」のような学び舎でありたいと改めて思った。


変わらずここにある彼らが帰ってきたいときに帰って来られる場所でありたい。

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Terakoya Kamei
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