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シャープペンシルの芯

昨年40代に突入した寺子屋のスタッフが高校2年生だったとき

ー先生、「しゃーしん」無くなった。「しゃーしん」ください。

と、授業中に私に言ってきたことがあった。

当時、最後のアメリカ留学から帰国後1年と5か月でこの仕事を始めたばかりだった私は、若干、日本語が不自由だった。

表現したい言葉が日本語で思い出せないと自分の言いたいことを表現する英単語を英和辞典を引き、日本語をひろい
漢字がわからないとやはり、その言葉になるであろう英単語を英和辞典を引く

ーそんな生活をしていた。

会話の中で「概して」なんてことばを当たり前のように使い、姉などに呆れられていた。

・・・そんな私が、すぐに若者言葉の意味を理解できるはずもなくー

頭の中で・・・『しゃ・ぁ・しん』?・『しゃしん』?・『写真』?・・・いや、今は写真は関係ない・・あ? あぁ、あぁ、

あ、あ、あ

「もしかして、『しゃーしん』って、シャープペンシルの芯?」

と、聞くと、そうだという。

・・・それ以来、生徒たちが「シャー芯」と言う度、意味がわからないふりをして、「シャープペンシルの芯」と言うように促すようになった。

シャーペンの芯もダメ!なんて時期もあった。 笑

最近使われる略語が、そのものや事柄のイメージとは結びつかない音で気持ち悪いなぁと思うことが多い。

このシャーシンも、私の中では、いまだにイメージと結びつかない。

言葉は、イメージを運んでくる

外国語を教える身としては

そのイメージの共有も、大切なことを伝え続けたいと思っている。

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Terakoya Kamei
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