電話=スマホ理論
「英語を教えているから思うこと」の中にも書いたけれど・・・
telephoneの意味を「電話」と伝えると、彼らの中で勝手に「スマホ」と翻訳されて、理解される。それ以外にも、そのような理解のされ方がたくさんあって、突然、思いがけない生徒の発言に出合い、私たちが発した言葉は全く違う意味で捉えられていることに気が付く。
だから、私は、子どもたちだけではなく、子どもたちを取り巻く多くの人の発言を、話し半分で聞き、ほかの人の意見やら、説明を聞き、自分なりに考えをまとめることにしている。
彼らが発する言葉には、私の知っている言葉の意味とは少し、いや、大きなズレがあることが本当に多い。
以前、政治家の後援会事務所で働いていたとき、幹事長の留守中に訪問客があったと、名前とともに、幹事長に伝えると
「若い人かな」
と、聞かれた。一瞬、考えて
「〇〇さんの言う『若い』はどれくらいの年齢の方を言いますか?」
と、尋ねると
「40代くらいかな」と、返事が、、、
当時20代後半だった私には、「40代」は決して若くなかったが
「じゃぁ、若い人ですね。」と応えた。
もちろん、「若い」「新しい」「多い」「少ない」というような主観的な言葉は、人によって感覚の差がある。でも、今、私たちの直面している言葉の壁は、そういう感覚の差ではなく、意味、定義のレベルから大きく違っていて、そこから生じる「感覚」の差だ。
授業初めの4日から、この1週間余りの期間に、私は、生徒たちに
「わからない」と「面倒くさい」は、同義語ではありません。
「面倒くさい」は「わからない」ということではありません。
と、すでに何回も伝えた。
「わからない」と言えば、教えてもらえるという甘えやずるさもあるのだろうけれど、「教えてもらうこと」の定義も、「答えを教えること」だと思っている節のある生徒も多い。
子どもたちの言葉を鵜呑みにしないで、冷静に対応することも大切だし、彼らの言葉には、私たちの思っている以上または以外の意味があるかもしれない、そして、私たちの使う言葉は私たちが思うように理解されていないことがあるということを忘れないで対応をしたいと思っている。
子どもたちとの交流の中で気づいた言葉の違和感から考える私たちの理論を、最近「電話=スマホ理論」と呼び、少しずつ書いていこう!と思っている。、、、次はいつになるかわからないけれど。