10月の初めに
「塾にも行かず〇〇大学合格!」
なんて言う人いるけど
私も高校2年生から塾に行かずにそれなりの難関だと言われる国立大学と難関私立大学に合格している経験から言っても
何度聞いても・・・不思議だと思う。
私にとって
塾とは、
学校の授業についていけないとか苦手意識があるとか、目標に到達できない人か、
逆に学校の授業では飽き足らない、もっともっと実力をつけたい生徒が
選んで行くものだ。
でも
今や、猫も杓子も・・・と言わんばかりに
まず、塾に行くものー
と思っている生徒や親御さんたちが多く
5教科全部、または副教科まで
教えてほしいと言う人までいる。
一方で、上記にあるように
「塾」を毛嫌いというか、「塾の存在意義」を狭義でしか見えていない人が多いということに、
私はこの仕事をしながら、今でも戸惑うことが多い。
私の父も、
「塾なんて行かなくてよい」
というスタンスの人だった。
自らが塾を経営していることを棚にあげて・・・笑
だから、私は、高校1年生の冬休み、どうしても予備校に行ってみたくなったとき、
まず、父を説得した。
今では三重県にもある予備校だけれど、当時はこの辺では名古屋にしかなくて、その予備校が長期休みだけ津の専門学校で授業を行っていた。
父は、きちんと5日間、名古屋まで通って受講することを条件に予備校へ行くことを認めてくれた。
私は、国語という科目にコンプレックスを持っていた。勉強の仕方がわからなかった。
書こうと思えば文章もかけるし、理解はできるけれど、テストでは他の科目のようにすいすいはいかない。他の科目と比べたら偏差値も大きく差がついていた。
先生たちにこぞって、「国語がなければ、とても良い成績なのに」と言われ続け、「将来、英語の足をひっぱる」と予言する大人も少なくはなかった。
そこで、現代文と古文の授業を受けに、5日間、通学時より早い時間の電車に乗って名古屋まで通うことになった。
座ったまま眠ることがアメリカ行きの飛行機内でもできなかった私が、最終日、思いがけず前に座ったご婦人に「着いたよ」と声をかけてもらわなければ、折り返しで三重県まで帰ってくるところだったくらい疲れたのだけれど・・・。
そういう経験も含めて、この経験は私の次につながる経験だった。
国語の成績が急に伸びたわけではないけれど、受験などに必要な国語力と生活に必要な国語力が違うことー漢文は問題ないのに、古文だけができない理由ーなどに気が付いて、また、名古屋に通ってきている松阪よりは多彩(多様と多才を混ぜて表現⁉️ 笑)な人々の中でも自分がそんなに劣ってはいないことを確認する機会となった。
その次の年の夏から1年の高校留学にでたので、父の英語塾もそこでやめたが、私にとって塾はきっかけであったり、出会いの場であったりした。受験に臨むための学習は自分で考え、自分でできるようになっていた。
そのため自分が必要だと考える学校の履修科目の希望を出したらあまりに前例がなく、1週間ほど担任に付きまとわれ、何度も確認をされた。そして3年時、私のあまりの傍若無人に見える学習方法に、何度も呼び出され、1月には、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というような投げやりな進路指導を受けたけれど・・・笑
私は、無事、志望校に合格する。
問題児は、その合格をもって優等生のような扱いを受けるに至った。
そんな自分の体験談や、父の塾の卒業生の方々に、家族ともども今でも助けられた経験から
私は
塾は世間の人が思うような、「勉強のテクニックを教わる場所」ばかりではないことを知っている。
塾はただ学校とは違う学舎であり、気づきに出合う場所だ。
私はそう思って自ら塾を開いている。
子どもたちを塾漬けにしたくない。
勉強にテクニックがあると思っている人たちに、告げたいこと
そして、本当の意味で学びに向き合いたい人たちに伝えたいことを
10月は綴れたら良いな、と思っている。