2024年度の始まりに
2024年度最初の1週間を終えたとき、頭に浮かんだ祈りだ。
今年は寺子屋かめい設立から25年目の節目の年。様々な思いが交差する。
この25年間、価値観が揺さぶられることばかりだったけれど、私が設立時に持っていた思いや考えは変わらず今もこの胸にある。
そして、何が一番大切だったのかを、昨年1年間かけて、私に思い出させてくれた生徒たちがいた。
彼らが、のらりくらりと塾に通いながらも、また春からの継続を決めてくれたとき、スタッフの1人がその理由をー
彼らには、様々なことを真剣に考え、喜び、憤り、笑う大人が周囲に必要なのではないか、寺子屋は彼らにとってそんな人がいる場所なのではないか
と、分析した。
そうかもしれないと思った。
私は、現代っ子たちの不幸は、子どもが減っているということだと思っている。少子化の進む24年前に寺子屋の設立を考えたとき、私はコミュニティセンターのような塾を、と考えた。
それは、少し年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんを見て、ほんの少し先の未来に希望を持ち、また、笑顔で日々を過ごし、学ぼうとする大人たちを見てもう少し先の未来を夢見る、そんな場所をイメージしていた。
そして、年長の子どもたちは、年下の子を見て、少し前の自分たちを思い出し、歩んできた道を糧に次を想像し、大人たちは、自分たちの鏡である子どもたちを見ながら、反省したり、次なる課題を考えるーそんな影響を与え合う人たちの集まりを思い描いていた。
それが、かつての寺子屋のように、地域の教育の土台となると信じていた。
そして、それは、今もなお揺るがぬ信念となっている。それが、カメイズムの軸だとも思う。
だから、私は、変えられないものを受け入れる心の広さと、変えられるものを変える強さと、その違いがわかる分別を持つ努力を今年もしたいと改めて思う1週間だった。