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変化と挑戦の1年 ③

今年は珍しく1月1日から動き回っていて、元旦の朝ごはんのあと、母と散歩がてら近所の神社に初詣に出かけた。

そこで、かつての教え子に会った。

彼が中学3年生で辞めてからだから、17,8年ぶりの再会だった。

彼は、中学1年生の最初のテストの後、当時の寺子屋では前代未聞の成績を引っ提げて入塾してきた。

とにかく、読み書きがあやしいー

おしゃべりを聞いていると、小学生の間に落ち着いて読み書きに取り組んでいたら、こんなに勉強で苦労しないだろうにと思う生徒だった。

彼の入塾前から、すでに寺子屋では日本語理解力の低下に危機感を抱いて、算数・数学の授業は開講していたけれど、母語での読み書きの大切さを痛感した生徒たちの入塾だった。

寺子屋開設5年目のことだったと思うー

彼とともに入塾してきた同級生は「四日市」を「やおや」と読み、「入」の反対の意味の漢字を聞いたら「人」と答えた。

夏休みには読書感想文や人権作文などにも付き合った。テスト前、テスト中の月曜日も塾を開けて対応した。

入塾時、5教科の合計点が100点そこそこだったけれど、中学2年生の終わりには、どの教科も50~70点台、英語は8割を目前にしていた。

彼の努力は、並々ならないものだったと思う。
その中での彼の心の疲れに、私たちは気づけなかった。

中学3年生になってクラスとともに付き合う友だちが変わり、状況が一変する。

彼の授業中に

寺子屋の駐輪場の自転車のサドルが抜かれていたり、自転車がさかさまに置かれていたり、寺子屋の駐車場では爆竹がなったりするようになる。

塾生以外の中学生が塾の周りをうろつき、騒ぐこともあった。

私は、落書き、割れ窓理論を信じている。

子どもたちの非行は小さいうちに大人が断固とした対応をして、子どもたちには更生する時間をたっぷり与えることが肝要だと思っている。

警察にパトロールを頼んだ。

そのうち本人も、塾に来ては長い時間私との押し問答を繰り返し始める。
私はできる限り時間をとった。

イスを蹴飛ばして帰っていくこともあった。

彼の寺子屋での友人たちは

「来たなら、潔く勉強してけよ」とか
「いやなら、来んだらええのに」と笑っていた。

代わりにイスをきちんとしまってくれる生徒もいた。

そんな寺子屋の生徒たち、雰囲気をありがたいと思った。

親御さんとも何度も面談をしたー

きっかけは1つではなく、クラス替えで友だちが変わり、クラブを引退したことに加え、「今のままでも行ける高校がある」という先生の発言があり、その上に反抗期がのっかって、親御さんも手を焼いていた。

彼が、家業を継ぐことを目標としていたので、私たちは今のままでも行ける高校ではなく、その目標に一番近い高校を目指して、あえて厳しいことを言っていた。

お母さんは、「もっと小さい頃なら投げ飛ばしたんのやけれど」

なんて、涙目で笑っていた。

最後にはお父さんが出てきて約束をしてもらったけれど、彼自身が守れなかったので退塾となった。

彼が「そのままでも行ける高校」を辞めてきたという知らせは、彼の弟から聞いた。

その後、しばらくして通信教育で高校を卒業、専門学校を経て、結果的に家業を継いだと風のうわさで聞いた。非行に走っていた期間も、彼にはお父さんへの尊敬があったことが救いだった。

数年前、何かの食事会のとき「呼んどいで」と彼と久しぶりに再会したという彼の友人に伝えたけれど、なかなか会えずにいた。

その彼の元気に働く姿を元旦に見て、挨拶程度でも話せて

心が温かくなったと同時に、いろいろなことを思い出した。

そして、母語の読み書きをしっかりと固めることの必要性を改めて伝えていきたいと思う。

遠回りをしても、大人になってしっかりと生活をしていればそれでよい。その間にかけた大人への迷惑は、自分が次の世代にかけられたときに、気づけば良いのだと思う。

でも、その遠回りの結果、社会は有能な人材を失うこともある。

そんなことを少なくすることが教育の役割だと思う。

だから、今年の寺子屋の目玉講座は、やっぱり 国語基礎講座だ。

年末年始休暇が終わった。

さぁ、今日から2025年の授業が始まる。

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Terakoya Kamei
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