本当にそうだろうかー④
本当にそうだろうかー
この25年ほどずっと問い続けている。
今年の夏休み、学校の先生が寺子屋の受験生に言い放った言葉に、愕然とした。
ーあなたなんて、生徒会長をしていただけで、普通の高校生じゃない!
・・・(._.)
学校推薦を受け入れるかどうか、志望校の1つに入っていた時期もあったけれどー今は少し違うかなと思っていた大学の学校推薦をもらうかどうか、、、を決めかねている生徒に、担任が言ったという。
こんな学校推薦のお話、願ってもないチャンスよ!と伝えたかったのだろうけれど・・・
「生徒会長」の任務を誠心誠意、一所懸命、果たそうとしていた彼女をずっと見てきた私には、信じられないー受け入れがたい発言だった。
確かに、この学校推薦をもらえるという大学は、名の知れた、おそらく、多くの生徒が行きたいと思っても簡単に行ける大学ではなかったー
でも
生徒会長は、普通の高校生から選ばれるはずだけれど、みんながなれるわけじゃないけれど?
しかも、「普通の高校生」の何が悪い?
何、言ってんだーと思った。
一方で、高校受験生も、大学受験生も対応をしながらいつも思うのだ。
内申書の見栄えを良くするために、生徒会活動をしたり、クラブ活動を辞められないで悩んだり、必死になっていっぱいいろんな人の手を借りながら、検定を受けたり、ボランティアに参加したりするのってどうなのさ?
と、
そして、そんな形で参加する生徒たちを本当の意味で高校や大学は評価しているのだろうか。
入学を許可する決め手にはなっても、その子たちは、その後ーどうなっているのかは、わからない。
私の生徒は、
そんなために「生徒会長」になりたかったんじゃないー
普通の高校生として、学校をより良い場所にしたかったから生徒会長に立候補し選ばれた、志を持った生徒ー
生徒会長という肩書があったから、素晴らしいのではなく、もともと素敵な志を持ち、夢を持ってそれに突き進みたいとただ願っていた生徒だ。
自分を普通の高校生だと思っていた。
進学に有利だからと、中学でも、高校でもいろいろと積極的に活動する生徒は多い。それはそれで悪いことではないけれど、逆にそれに時間をとられすぎて、学業での目標をないがしろにしてしまっている生徒も少なくはない。
参加した活動にのめりこんで、新しく切り拓ける道もあるだろう。
してみないとわからないから、何にしろ、挑戦してみることは良いことだと思う。
けれど、目標はしっかりと持って、周りに流されないでほしい。
知識になり力になるはずの経験をしっかりと活かせる人になることを目指してほしい。
小さな目標を一つ一つ丁寧に達成して、気が付いたらゴールが違っていても良いけれど、気が付いたらゴールが遠のいたり、見えなくなってしまわないようにしてほしい。
そして、願わくば、自分のため以外のことも入れて、きちんと目標達成を目指してほしい。
学校推薦を潔く、いや勇ましく蹴ったわが生徒の進路はまだわからないけれど、春に桜を清々しい気分で一緒に見られる日を楽しみにしている。