てらこやのひび ⑥
先生たちの思いが、子どもたちに届かない、届いていない。
ーそう思うことが増えている。
例えば、テストの表紙に書かれた注意事項
「なにかが、おかしい④」で書いた以外にも、以前高校2年生の学年末試験で書かれていたものに、びっくりして、絶句したことがある。
時間いっぱい努力しましょう。
blankが多いのに寝てしまうのはやめましょう。
1点でも多くとるという気持ちが大切です。
できあがったら時間いっぱい何度も見直しましょう。
などなどを含む10項目が並んでいた。高校2年生の学年末、ということは相手は、ほぼ高校3年生、今ではほぼ成人の生徒たちにこんな注意書きが必要なことに驚き、そして、これを「注意事項」としてテストの表紙に書く先生の感覚に絶句した。
再び、今日、テスト前の中学1年生たちに配られたプリントに、もうため息しかでなかった。B4に細かい字で書かれた、先生の日頃の鬱憤を晴らすかのような文章。難しい言葉で「文句」が書かれているような印象のプリントに、見せてきた生徒の困惑と不満が手に取るようにわかった。
そして、その中の1文ー
単語をやるー
私なら、うちの生徒がそんな表現をしたら、まず、即座に突っ込みを入れる 笑。
単語を調べる、単語を書く、覚えるという意味で、口語では「単語をする」とは言うだろうが、書き言葉で、「単語をやる」というのは、大人の書くものではない。
学校の先生たちの言葉が最近、子どもたちの心に向けて話しかけているというより、子どもたちに、自分たちの思いをただやみくもに投げつけたり、ただ、自分たちの義務から逃れるために、言葉をぽっと置いているだけだったりするように見えるのが気になる。
そして、先生の言葉が子どもたちに届かないのは、たぶん、子どもたちから学ぶことが少ないからではないかと思う。
子どもたちの言葉を聞けば、反省こそすれ、こんなに子どもたちを責める、子どもたちにばかり責任を押し付ける表現にはならないのではないか、そして、英語の先生は、今「ピアノをする」「英語をする」という表現を和訳で堂々と使い、「勉強」と「勉強する」の区別がつかない子どもたちがいることに気づき、そちらの対応が先であることに気づくはずだと思うのだ。
Teaching is learning. 教えることは学ぶことだ。
父が、いつも言っていた言葉だ。