アメリカの犬って・・・
「本当に、バウバウって鳴くの?」
と、高校留学後に知り合った同い年の男の子に、真面目に質問されたことがある。
「え? じゃぁ、日本の犬は、わんわんって鳴くの?」
と、返した。笑
ーなるほど、と、彼。
育ってきた、触れてきた文化によって受け止め方が違い、その表現の仕方も違う。だから、面白い。そう単純に受け止めていた私には、彼の質問は新鮮で、その純粋さにハッとした。
私は、外国語を学ぶことって、そういう事だと思っている。それから広がる世界が大切。
子どもたちが、興味を持ち、疑問を持ち、その答えを求めて人に聞いたり、自分自身で調べたり、現地に赴いたり・・・世界を広げていくきっかけになる。どんな学びとも変わらない、だから、義務教育で教えることに、意義があるのだ。
それが使えるものになるのか、その好奇心や興味、行動力が続くのかどうかは、受け取る人たちに掛かっている。自分たち次第だ。
子どもたちの能力は無限大だ。だから、私たち年長者は、真剣に、私たちの持っている知識や資料を子どもたちに示すのだと思う。それは、学問だけではなく、生活の面でも。
そこを、どこかで、大人が取り違えてしまったことが、現代っ子の不幸の始まりだと私は思っている。
学校の在り方も同じ。本当は、社会で子どもたちを育てる象徴のような場所のはずの学校が、やっきになって(学びではなく)勉強を担う場所になり、子どもたちの育ち方は、家庭のせいにされ、子どもたちにしわ寄せがきている。
「自分のことしか考えん親ばっかやから、学校にも社会にもしわよせがくんのや」
先日書いた、「下剋上球児」についての文章でも紹介した、ドラマの中の弁護士の女性のセリフ。今子どもたちが置かれている社会では「自分のことしか考えん大人ばっかやから、子どもたちにばかりしわよせがくんのや」が、私の中の実感だ。
塾を通して、子どもたちと接しながら、現状を変えたい。そう思うのは、大それた野望なのだろうか。