大人たちに考えてほしいこと ④
ー学校はもはや塾には勝てない
昨日、父の塾で働いていた方で、現在コミュニティスクールのボランティアや特別支援クラスの補助など学校のお手伝いをしている方とお話しをしたとき、出てきた、学校の先生の発言だという言葉。
私の返事は
「競ってないけどな。」
だった。
学校と塾は存在意義も目的も大きく違っている。
義務教育で教えるのは、学習への臨み方ー学ぶとは・・・、そして、社会とは・・・だと思う。
だから、書き順も、無駄に見えるルールも、自分たちに関係がなく見えるものや人のことも知り、触れることが大切なのだと私は思っている。
この仕事を24年ほど前に始めたとき、最初にびっくりしたのが、
小学生、中学生、高校生に関係なく
提出物に名前を書かない
消しゴムを使わず鉛筆でぐちゃぐちゃと消した状態で新しい解答を書いて堂々と提出してくる
宿題忘れを含む忘れ物を報告することができない(忘れたものを借りるための言葉が出てこない)
話し言葉と書き言葉の区別がつかない
年齢相応の漢字が書けない
授業中、立ちあるくことに躊躇がない
返事がない
あいさつを知らない
などなど、あげたらきりがないほどある「勉強以前」の態度の問題だった。
それらは、状況が悪化した状態で今も存在する問題だ。
何か必要なものを忘れたとき、忘れたことも報告せずに泣いたり、騒いだりしていたら、誰かが助けてくれるなんて、社会では通用しないこと
彼らは、それを学校で学ばずして、どこで学ぶのだろうか。
子どもたちは言っても、すぐにはきちんとしてくれない。勉強だって、すぐにわかるわけではない。卒業までにできるようになるとも限らない。
でも、言い続けること、伝え続けること
彼らがいつかはわかってくれると信じること
ーそれが教育に携わる者の仕事だと私は思っている。
子どもたちに学ぶ姿勢について、口を酸っぱくして言い続け、直すことまで塾の仕事になっていることを考えたら、確かに、競ってはいなくても、塾に学校は勝てないのかもしれないと、皮肉を言いたくもなった。学校が最初から戦いに参加してこないだけではないか?とも思うけれど。
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