人は今この瞬間から変わる事ができる
はじめに
私はこれまで、数多くの失敗をしてきました。
勉強をしたのにテストで良い成績を取れなかったり、ピアノが上手く弾けなくて叱られたり、大事なものを忘れたり、仕事で話を聞いていたつもりが聞いてなかったり、仕事でミスを犯したり…。
思い出そうとするとキリがありませんが、皆さんも多くの失敗を経験していると思います。
それが原因で心を病んでしまった方もきっと少なくないでしょう。
しかし、今私たちが生きている人生は過程であることを忘れてはいけません。生まれる事がスタートで死ぬ事がゴールなのであれば、今この時この瞬間は一つの過程なのです。
今気を病んでいても人生に支障はありません。
これから変わっていけばいいのですから。
そこで、今回は人は今この時この瞬間から変われるということを全面に主張していきたいと思います。
過去に意味はない
人が変われるという話をするときに必ず挙がる話題があります。
それは、過去についてです。
過去にこんなに辛い事があったから変わりたくても変わらないという人をよくみます。
実際に起きた出来事でしょうし、私にも辛い経験があったので気持ちはとてもわかります。
しかしあえて、語弊を恐れずに言いましょう。
あなたが今見ている過去は幻です。
人は、本当の意味で過去を知覚する事はできません。「過去」という想像を生み出し、それを知覚しているに過ぎないのです。我々は過去に戻ることはできないのです。
人は何故過去を見るのでしょう。
私は人は物語が好きな生き物であると考えています。
過去は客観的な事実のみで終わることはまずありません。
そこにはあなたがいてあなたに関係する人がいてエキストラがいます。
さらに全員が動いているように感じるでしょう。
そして不幸な出来事をまるでビデオ再生のように流しあなたはそれを鑑賞しています。
これが過去というものです。
アドラーは過去を明確に否定しています。
過去など存在しないという言葉はとても印象的です。
しかし私の考えは異なります。
というより、アドラーのこの言葉は日本語ではわかりにくいのでしょう。
過去は物質として存在はしてませんが我々の中にあると私は考えています。
ただし、過去に価値はありません。
過去のことをいくら考えても無意味であり、時間の無駄です。
これが私が出した結論です。
過去の出来事を100%正確に知覚できる人は基本的にいません。
特異な能力があって全て正確に覚えているという人はもしかしたらいるのかもしれません。
人は忘れる生き物です。
全てのことを覚える事ができる人はいないと考えています。
それは過去の出来事も同じ事です。
過去を全て覚えていないが重要なことは覚えているという人たちがいます。
ですがそれはまやかしです。
彼ら彼女らはそう信じることで何かの目的を達成しているに過ぎません。
過去は忘れるものであるとするのであれば、どうしてビデオ再生のように知覚する事ができるのでしょうか?
そこで出てくるのかライフスタイルという言葉です。
人はライフスタイルを幼少の頃に確立し、生涯にわたってそのライフスタイルは変わることはありません。
これはさまざまな経験においても同じです。
1つの像を2人の人が見た時、全く同じ感想を述べることはありません。
個々人によって知覚する場所が違うからなのです。
人は1つのことを経験した時、その人が確立したライフスタイルを強化するために経験の形を削って、その人に合った形になった時初めて取りこみます。
仕事で失敗した時に絶望して気を病んでしまう人もいれば、同じ失敗をしないために努力する人もいるように、経験によって人の考えかたや生き方は変わってくるのです。
過去というストーリーを流している時も同じです。
薄れてしまった過去を補完するために人はさまざまな装飾を施します。
そして自分に都合の良いように過去を改変してしまいます。
改変された過去になんの価値があるのでしょうか。
全ては知覚した人の都合の良いように弄ばれ、ねじ曲げられているのに。
過去を利用する人々
何故価値のないものを好んで見続けているのか疑問に思うでしょう。
過去そのものには価値はありません。
それだけならおそらく見向きもされないゴミのようなものです。
過去は使用された時に価値を見出します。
鬱になった人は過去にこのような事があって今があるんだと言いますが、この時彼ら彼女らは過去を盾として使用しているのです。
あるいは、働けない理由として過去を持ち出し自分を憐んでほしい、憐んでくれないと…と武器に使うかもしれません。
過去のストーリーはとても感情に富んだ作品で話を聞いた人は感情移入するでしょう。
そうさせる事が彼ら彼女らの目的なのです。
私はこんなにも可哀想な人間なのだ、だから優しくしろと、正義の旗を振りかざすために過去を利用します。
そのようなことをしても一時的な快楽に満たされるだけか、あるいは心無い人からストーリーを壊され憤慨するだけでしょう。
どちらにしろ、変わることなんて出来ません。
今この瞬間に向き合え
では過去に縛られなければ変われるのかというと、半分正解で半分不正解といえます。
人生に答えはないので本来は正解も不正解もないのですが、おそらくそれだけでは変わることは難しいように思えます。
まずは過去を見続けないことを提案します。
今を真剣に考える事が具体案になるでしょう。
今あなたは何も考えて生きているのか、どうしてその考えに辿り着いたのか、これからあなたはどうなりたいのか、そうなるためにはどうすればいいのか…
今の生き方を考えるだけで膨大な時間がかかります。
過去というストーリーを見る暇がないほどにです。
また、人は物語が好きなので失敗や挫折を経験すると、過去のことを持ち出して考えてしまいがちです。
過去に縛られないように気をつけていても、いつのまにか過去に想いを馳せているということもしばしばあります。
脳科学で最近わかった事があると言います。
曰く、人の脳は過去の行動を基礎にして行動指針を立てているんだとか。
いつのまにかスマホをいじってSNSを見たりテレビをつけてぼーっとしたり…思い当たることはありませんか?私はあります、ありまくりです。
個人心理学を基に考えると、そうした方がメリットがあるんだと無意識に考え決断した行動だと言えます。
無意識の決断に対する対策は一つしかありません。よく考えて行動する。これだけです。
テレビを見ようと思う前に、本当にこれは重要なことなのか?と一旦考えましょう。
本当に今SNSを触ることは私にとって有益なのか、他に今やった方が有益なことはないのか、と。
とにかく、無意識を意識化に持っていくことが重要です。
それから、こうなりたいという願望を抱いてはなりません。
願望は未来のことを想像しているように見えるので、一見して問題ないように見えますが、本来未来のことなんて誰にもわからないはずです。
こうなりたいという願望を抱き続けるということは、可能性の中に生きることと同義です。
それはつまり、今はこうならないでおこうという決断をしていることに等しいのです。
今のことを考えず、空想ばかり思い描く人は今を真剣に生きていません。
重要なのは今なのです。
未来ではありません。
こう成りたいと思っているのであれば実際に成りましょう。
成るためにどうするかを考えるのです。
そうすれば願望だったものを目標という形に変える事ができます。
我々はスポットライトを浴びて生きている
最後に、どうしても過去を振り返ってしまう人に提案したい事があります。
過去をストーリーとして見るのではなく、歴史のように客観的事実でのみ考えるのです。
ああいうことをしてこういうことをした結果仕事に失敗したということではなく、仕事に失敗したという事実のみを切り取るのです。
また、事実を見て主観的な思い込みをしてしまうのもいけません。
仕事に失敗した、だから私は〇〇なのだと考えるのは意味がありません。
過去は客観的に受け止めるべきなのです。
あなたはスポットライトを受けて生きています。
スポットライトに当たると強烈な光に目が眩み、一寸先までも見えなくなります。
ですが、それでいいのです。
前も後ろも見る必要はありません。
あなたはスポットライトを浴びながら今この時この瞬間を精一杯の力で踊りましょう。
くるくると踊っているうちにあなたは何処かに辿り着くはずです。そこがきっとあなたにとっての目的地になるでしょう。
最後に
過去や未来は本来の意味で見ることはできません。見る事ができないものを見て悲しむなんてもったいないです。
感情をそんなことに費やしてはなりません。実際に目の前で起きた出来事に笑い、時には悲しみ、そして楽しむべきです。
私は今を精一杯に生きています。あなたも一緒に踊りましょう。仲間と踊るととても楽しいですよ。
では、また次回。