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重重無尽

御縁に感謝です。

先日、瞬那浩人さんが紹介されていた書籍

『悲しみの底で猫が教えてくれた大切なこと』(瀧森古都・著)

とても気になって、手にして、一気に読み上げました。

クライマックスでは、不覚にも涙がこぼれました。

再度、読み直して、さらに涙があふれました。


この物語には、何匹かの猫が登場します。

そして、それぞれの猫が、さまざまな人生を歩んできた人たちを癒し、生かし、過ぎ去った日々の悲しみを超えて未来に向かうために背中を押していきます。

そして、人と人との絆を深める役割を果たします。


詳しいストーリーは、ここでは割愛させていただきます。
ぜひともお読みいただいて、それぞれの想いで感じ取っていただければと思います。




☆僕が感じたこと<希望>

人は皆、人生の過程で“悲しみ”と向き合います。

その“悲しみ”を乗り越えられずに、何年、何十年も彷徨さまようこともあります。

だけど、明けない夜はありません。

どんなに苦しみを味わっても、希望を信じて、歩み続けるうちに光が射してくるのです。

僕も、未来に向かう道を潤してくれたのを感じました。



☆僕が感じたこと<重重無尽じゅうじゅうむじん

この世の中は、まったく別個に動いているのではなく、相互に関わり合って、作用しあっています。

これを、仏教では「重重無尽じゅうじゅうむじん」と言います。

登場人物は皆、偶然のように縁がつながり、日常の中でやり取りが繰り返されているように見えなくもありません。

だけど、さまざまな出来事が、その関係に刺激をもたらし、関わりが深まり、共に働きかけることによって絆が深まっていきます。


僕は、「あらゆる縁のつながりは“偶然”ではなく、それぞれの人生を育み、導きを与えて、心をより豊かにしていく。いわば、縁は“必然”であるのだ」と感じました。

人生の過程で抱え込んだ“悲しみ”も、乗り越えていこうとする“自力”とともに、他の人との関わりによって支えや助けといった“他力”によって超えていくことができます。

その“他力”は、求めるだけで得られるものではありません。

自らは自らの心を調えながら、誠実に日々を歩んでいく。

この人生の途上で縁をいただいた人たちに心を向けて、その存在に善意を向けていく。

やがて、“悲しみ”というものに対して、他の人を介して救いが臨んでくるのです。


☆僕が悟ったこと<悦びと奇蹟>

悲しみを超えた時、悦びがこみ上げてくるでしょう。

この時に、他の人を介して与えられてきた力、助けられてきた力、救われてきた力に感謝できる人は幸いです。

与えられてきたものは“愛”であり、与えていく感謝もまた“愛”です。

“愛”が通い合い、深まり合うことは、これからを生きるための勇気を促すでしょう。


さらには、悲しみを超えた時、それを“奇蹟”と感じられる人は幸いです。

人は、時に、悦びを“自分の手柄”と思ってしまいがちです。

だけど、自分一人でなし得ることは“ない”と言ってもいいでしょう。

悦びもまた、自分一人の力で得られるものではありません。

謙虚な心になって、「これもまた、奇蹟である」と感じて、さらに感謝を深めていくことが大事です。

あらゆることに対して、“奇蹟”と感じられるようになれば、心は豊かになり、人格が向上していくのです。



僕が感じたことを綴ってみました。

僕もまた、一人の人間として、いくつもの“悲しみ”と向き合い、乗り越えてきました。

今もなお、“悲しみ”が尽きたわけではないですが、今回、この物語からいただいた数々の“気づき”を糧に、これからを歩み続けていきたいと思います。


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今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆さまの心に、キラッとしたものをお届けできれば幸いです。

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