私が休職に至った経緯の話
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【プロローグ】
突如、限界社畜生活を経験する事となった根暗社会人のテンザ。
知識もアイデアもコミュ能力もない、無いものだらけの凡人が、周りのサポートもなく飛び込んだ志望部署で必死こいて生き抜く。
ーーなんてことは早々に叶わなかった。
唯一できる選択は、『休職』という『現実逃避』のみ!
頼れる者のいない限界社畜生活で、
一体なにを失って、なにを掴み取るのか。
これは私が学生時代から夢見た仕事に就けたにも関わらず、早々にリタイアしてしまった話。
そう、Re:ゼロから始めることとなった限界社畜エンタメ会社員のきっかけの話。
私は、
私の今の気持ちを忘れない為にも、
同じ悩みに苦しむ人の為にも、
備忘録としてここに全てを記そうと思う。
【エピソード.0 エンタメ業界を目指して】
”エンタメ業界”
ゲームや音楽、アミューズメント、書籍などあらゆる娯楽コンテンツを通じてユーザーを楽しませる業界の総称。
自分の好きなことや趣味をそのまま仕事に繋げやすいことからも、就職活動でも商社やメガバン等と並び、毎年就活生の志望ランキング上位に並ぶ人気ある業界だ。
代表的な企業には集英社や任天堂、バンダイなどが挙げられる。
私はこの業界に焦点を絞って就活をしていた。
OB訪問やインターン等を受けて、エンタメ業界で働くという事は、深夜残業や土日出勤で仕事中心の生活になってしまう事も重々理解していた。
多少プライベートを犠牲にしてでも新卒でトライしてみる価値のある業界だと思っていた。
それほどに覚悟はできていたつもりだったーー。
今振り返っても、この選択に一切の後悔はない。
事実、入社してから数年間はとにかく仕事が楽しくて仕方なかった。
この仕事でなければ絶対に出会えなかったであろう有名人や著名人との出逢い。
受け手から作り手になった事で気づけたエンタメビジネスの面白さ。
その他にも刺激的な経験の数々をさせてもらった。
しかしながら、1つだけ気掛かりな事があった。
第一志望の会社に入社して順風満帆といえる日々を過ごしてはいたが、心の奥底ではどこか満足感を得られていない自分がいた事だ。
周りが次々に自分のやりたい事を叶えていく中で、まだスタートラインにすら立てていない焦りを感じていた。
そのため、平日は仕事終わりに映画や小説等のエンタメを可能な限り摂取し、土日には企画書作りに取り組み、志望部署への熱意を会社に伝え続けた。
そして、私は遂に念願の仕事に就く事ができた。
ーーと思った矢先に、事態は最悪の方向へと進んでいくのであった。
【エピソード.1 休むに至ったきっかけ】
今思えば、どこか"燃え尽き症候群"のようなところがあったのだと思う。
『会社員の人生は40年スパンで考えるもの』
しかしながら、いち早く成果を出したいと思っていた私は、生き急ぐかのように目先の目標だけに囚われていた。
「水ダウを超えるバラエティ番組を立ち上げたい!」
「人気アイドルグループのマネージャーになりたい!」
「ONE PIECEを超える漫画編集者になりたい!」
就活期に抱いていた野望に近い夢は、誰もが時間と共に自然と忘れていく。
私はこの野望を忘れる前にさっさとやってしまいたいと思っていた。
しかし、このさっさとやるという考え方自体がそもそも甘かったのだ。
消費者として手に取るエンタメには、企画から完成までにおおよそ2〜3年の年月がかかっている。
企画に対する情熱の炎を絶やさずにひたすら仕込みに徹することのできる"熱意"と"辛抱強さ"こそが、作り手として最も必要な要素である事に気づけなかったのだ。
「この生活をあと3年も耐えられるかなぁ、、」
「いや、私には無理かもしれない、、」
次第に、目の前の仕事に集中したくても自信を喪失して心身ともに擦り減ってしまっている自分がいた。
そして、そこから身体の異変に気づくまでにはそう時間はかからなかった。
昼夜逆転の生活で朝に起きれなくなり、会社の人達からも「最近顔色悪くない?」「ずっと会社いるけど大丈夫?」と声をかけられる事が増えてきた。
友人らにも相談して「それ普通じゃないよ」と指摘された事で、私自身も今の自分が正常ではない事にようやく脳の理解が追いついた。
これらの出来事がきっかけとなり、私は「その選択だけはしたくなかった…」と思うかのように重い腰を上げて医師の診断を受ける事にした。
後日、医師との診察では、私が現在どのような環境で日頃どんなタスクをこなしているか、更には職場の人間関係までを事細かに話した。
平日は朝から終電まで働き、タクシー帰りもしばしば。土日にこっそりサービス残業する事も多く、飲みや遊びの予定は殆ど全て断り続けていた。
月の残業時間が150時間overだった時もあった。
労働環境以外の不安要素も含めて、言える範囲の話をここで全て医師に打ち明けた。
医師の親身な相槌に、今まで言いづらくて誰にも言えなかっただけに話し始めたそばから涙が止まらなくなり、なんで私はこうなってしまったんだ、、と後悔の念が込み上げてきた。
そして、一通り話し終えた後、医師から言い渡された結果は、”適応障害”。
すぐには現実を受け入れられず「いやです!まだ頑張れます!」と必死で抵抗しましたが、結局その日中に"ドクターストップ"を告げられ、仕事を休む事となった。
ここまでの話の中で、今回私が休職に至った経緯には、単に労働時間による過労が原因だとは思っていない。
どちらかというと、”誰にも頼れなかった自分の弱さ”こそが休むに至った原因だと感じている。
私以上に働いている人は身の回りに大勢いた。
それを良しとは全く思わないが、そうでもしなければエンタメが世の中に滞りなく波及しないことも自然と理解できていた。
だからこそ、人一倍周りの様子を伺う癖のある私は、とにかく苦労した。
人に教えてもらう機会がなければ、自ら質問して仕事を取りにいかなければならない。けれど、質問をしようにも相手の様子を見てしまう。そうこうしているうちに拗らせてしまい人間関係が上手くいかなくなっていく。
そして、そこから負の連鎖が始まってしまった。
初歩的なミスが増えていき、人に話しかけるにも声の震えがどうしても止まらない。
メールの文章を何度読んでも、ただの文字列にしか見えずに一生理解できずにいる。
ようやくやりたい仕事に就けたのに全てが空回りしている感覚があった。
早く成果を出さないとーー。
私はここで頑張って行くんだーー。
今思えば、覚悟がある程度できていた分、
自責の念に強く繋がってしまっていたように思える。
すでにその頃には周りが見えていなかった。
とにかく目の前の事を感情を無にして淡々とこなす。
心は死んでいて身体は生きている気がしなかった。
あの頃の自分にはもう戻りたくない。
でも自分では間違った道だったとは思いたくない。
私は恐らく同じ環境に再度挑戦する事になるだろう。
それは悩みに悩んだ決断だが、就活期から支えてくれていた大学の先輩の一言が今でも心に残っている。
「今までやりたい事に一直線で、やり切る前に途中で投げ出した姿を俺は出会ってから一度も見た事がない。」
「後悔する可能性が1ミリでもあったらそれを良しとしない性格なことを知っている。」
両親からは無理して戻る必要はないだろうと言われていた分、この言葉がなかったらきっと今ごろ夢を完全に諦めていただろう。
もし大きな夢を持っているが、現実が与える困難に苛まれている人がいたら、まずは誰かに勇気を出して相談してみてほしい。きっと周りは応援して支えてくれる。
逆も然りで、もし周りに仕事で躓きそうな人がいたら、まずは話を聞いてあげてほしい。
その人は救いの手を求めてるわけでも差し伸べてほしいわけでもないかもしれないが、人と会って話す事が意外にも大きな支えとなる。
誰でも1つ歯車が外れてしまえば全て崩壊してしまう危険性がある。そしたら、社会復帰すら中々難しいと思う。
身の回りで仕事に追われて人と接する機会が減ってしまってる人がいたら、ぜひ飲みでも誘ってあげてほしい。
この記事を読んでくれてる読者には、会社でもプライベートでもどうか人に寄り添ってあげてほしいと強く願う。
【エピソード.2 休職中の私生活】
休む事になった日に話を戻そう。
休んでからも憂鬱な日々がしばらく続いていたー。
深夜3時でも土日祝日でも絶え間なく鳴る社用スマホの通知音。
気づけば社用スマホは手の届く範囲に置いてないと落ち着かず、休んでいるのに通知や電話が鳴ると即レスしなきゃとすぐに内容を確認してしまう。1週間休んだだけでメールが300件以上も届き、休職しても中々心が休まらない毎日を過ごしていた。
今思えば完全に仕事脳に侵され、一種の禁断症状に近かったように思える。
その後、1ヶ月近く休んでも私のメンタルに回復の兆しは見られなかった。
夜な夜な泣いてばかりの日々を過ごし、
私は完全に廃人と化していたー。
特に夜の有り様は酷かった。
0時過ぎても寝付く事ができず、深夜2時〜5時頃になると明日の自分を憂いて自暴自棄になる事が多かった。
1日24時間のうち20時間を睡眠に費やし、昼と夜に2時間ずつ起きてご飯を食べる。そんな生活がずっと続いていた。
この時点で私は社会復帰できる未来が完全に見えなくなっていた。
恐らく120%の元気とモチベーションで社会復帰する日はまだすぐには訪れないだろう。
でも、この数ヶ月で少しずつ脳が整理されていく感覚はあった。長い人生の中でどれだけ仕事に重きを起き、これからどう生きていきたいかを見つめ直す良い機会となったのは確実だった。
【エピソード.3 休んで得たモノ】
ここまで述べてきたほとんどは、"休んだ事で失ったモノ"の話。
その一方で、"休んだ事で得たモノ"も少なからずある。
それは「物事の優先順位に気づけたこと」だ。
仕事を休み始めてから家族や学生時代の先輩、友人といった就活期にお世話になった人や仕事を応援してくれていた人達に、休んだ経緯を直接会って説明した。
そこには「今まで頑張っていたの知ってるからそんなに無理しなくていいんだよ」「これ以上生き急ぐなよ」と励ましてくれる人がいた。
中には、会社の先輩が適応障害で亡くなってしまったエピソードを話してくれて、泣きながら私の身を心配してくれる友人もいた。
そこで完全にハッとされられました。
「あぁ、私はこの人達を幸せにする事が何より大切だったのかー」と。
私は今まで自分の手がけたエンタメを通じて1人でも多くの人を幸せにしたい、影響を与えたいと考えていた。
これは就活時代から掲げていた想いでもあった。
エンタメには人を幸せにする力があるー。
誰かの心を動かせる力があるー。
その力は年齢や性別、国籍を超える力があるー。
そう信じて止まない想いが私が仕事を続ける原動力だった。だからこそ、限りなく盲目的になっていた。
休職を経験した事で、まずは身近な人の幸せを優先したいと強く思うようになった。
これは決して多くの人を幸せにしたいという想いが消えたわけではない。身近な人を幸せにできない人がエンタメで世の中に影響力を与えられるわけがないと当たり前の事に今更ながら気づいたのだ。
身近な誰かが喜ぶ姿をイメージして
エンタメを創作し続けたいー。
これが今の私の新しいモットーである。
【エピソード.4 伝えたい想い】
もしこの記事を読んでくれている人の中で、エンタメ業界を志す就活生がいたら、これだけは伝えておきたい。
大きな夢があっても壊れてしまっては意味がないー。
メジャーリーガーになりたくても試合中に大怪我をしてしまっては一瞬で夢を諦めるしかなくなる。
会社員生活で成し遂げたい事があるなら、それは今まで生きてきた人生の倍のスパンで考えていても事足りることだと思う。
物事の優先順位を付けて、
無理のない範囲で、
長期的な視野で働く。
私は今後そうしていこうと思う。
特に野心あるエンタメ就活生や若いエンタメ社会人には、反面教師として伝わってくれていたらいいな、、。
【エピローグ】
正直、今現在でも前みたい働いてる姿は想像できない。
恐らくバリバリ働いていた会社員としての自分には戻れないと思っている。
だからこそ、次戻るときにはあらゆるプライドを捨てて前を向いていきたい。
もう一度やり直して1歩ずつ歩み続ける誓いをこのnoteの締めの文にしたいと思う。
ここからはじめましょう。
イチからーーいいえ、ゼロから。
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