ロバと吹き替えのコージ
「あんた、こんなとこで何してんの?」
前日の大雨で、オレンジの木の小枝が地面にたくさん落ちている。
緑の葉っぱがたくさんついたそれを手にした私の耳に女性の声が届いた。
友人のカルメンだった。
これだから、アンダルシア田舎で悪いことはできない。
私はちょうどそのオレンジの木の枝をロバに献上するところだった。
散歩中だったカルメンとご主人は、道を渡って挨拶をしにきてくれた。
ロバはオレンジは食べないけど、オレンジの葉っぱは大好きなのだという話をする私に、カルメンは大して興味のなさそうな返事をし、ご主人は優しい笑顔を向けてくれた。
ついでに、アンダルシア田舎では、あんまり変な格好もできない。
すっかり忘れていた私は、ついうっかりと
そう、ついうっかりと、ジムにでも行くようなパンツに通学用の男性用パーカーを羽織って出てきてしまった。大学に通うとき、少しぐらい怪しい人に見えるようにと、ある程度は変でぶかぶかのものを羽織るという作戦をとっている。夜の田舎道一人歩きは危ないかもしれないからだ。気持ちはいつでもどこでも安全第一でまいりたいという私の自意識過剰気味とも言えなくもない、そして役に立つのか立たないのかいまひとつわからない対策だった。
大雨の翌日だ。きっと誰にも会わないだろう。
そう思って、気軽に出てきたらこのざまだ。
よく言うマーフィーの法則というやつだろうか。
そんなことを考えている私をよそに、カルメンたちは昼ご飯の準備をすると言って帰っていった。
◆
金曜日は、修論アドバイザーK先生のチュートリアルがあった。
来週からインターンが始まるので、その打ち合わせと半構造化インタビューの内容確認のためだった。
大雨だったので、オンラインでのチュートリアルに変更してもらう。
K先生からビデオ会議のリンクが送られてきた。
早速クリックする。
しばらくすると、先生の顔がスクリーンに現れた。
しかし、先生の声が聞こえない。
声が聞こえません。
そう言うと、電話をしてもいいかとチャットで聞かれた。
私が返事をする前に電話がかかってきた。
そうか、電話でのチュートリアルに変更になったか。
そう思っていると、K先生はビデオ会議の画面はつないだままで、音声は電話で対応するという作戦に出た。ある意味新しいなと思った。
「これで顔が見えるでしょ?ふふふ」
K先生が笑う。
打ち合わせがひととおり終わると、先生がもじもじしながら言った。
「あのね、唐草。大学とは全然関係ない話であなたに質問があるんだけど。いいかしら」
「はい」
「本当にいいの?」
「はい」
「"Perfect Days"という映画なの。この間観たんだけどね、観ているときから、これ唐草に聞かなきゃ!、唐草と話さなきゃって思ってたの」
「先生が私と何を話すんでしょうか。それは日本の映画ですか」
「何を言ってるの。今スペインでやってるわよ。東京も出てくるし、日本文化のこととかね、あなたに聞きたいことがいっぱいあるのよ」
本当に日本人なのかというぐらい話の通じない私に、K先生は映画"Perfect Days"について説明してくれた。
主役のね、コージ。
なんといってもコージ。
コージが素晴らしかった。
コージはアトラクティボだわ。
コージ、コージと連呼するK先生に、コージと言えば役所広司ですかと聞くと、大当たりだった。
そうそう!ヤクショ!!!
K先生が珍しく興奮している。
ちなみに、「役所」という名前は確か彼が役所に勤めていたからついた芸名だったと思いますと豆知識を披露してみたが、K先生は大して興味を示さなかった。
わざわざスペインで紹介しなくてもいい内容だった。
「あなたの町でも観られるかしら?観たら是非教えて。あなたと話したいから」
「もしかしたら、日本語のタイトルは違うかもしれませんね。あとで調べてみます」
チュートリアル終了後、件の映画"Perfect Days"について調べてみた。
日本語はタイトルが違うかもしれないとえらそうに言った割に、オリジナルのタイトルもしっかり"Perfect Days"だった。
ちょっと恥ずかしい。
そして、当たり前のように、私の町では上映していなかった。
アンダルシアでも都会の方ではやっていた。
しかし、その都会でも吹き替え上映しかやっていないようだった。
日本語で観たければ、マドリードかバルセロナという名の大都会に赴く必要があるようだ。
役所広司をスペイン語吹き替えで観たいだろうか私は。
30秒ほど考え、やめることにした。
K先生のために、日本に帰ったら観てみよう。
この日私が学んだことは、半構造化インタビューのやり方と、役所広司はスペイン人にとってもアトラクティボだということだった。
にゃー!
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