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人生の終始は決められない。


家族の生死


 9月で50歳になったが、生まれてから今日に至るまで家族の生死に直面した。大好きだった祖父が2008年6月、34歳の時に他界。「おじいちゃんがいなかったら生きていけない」と幼少期に本気で悩んでいた私だが、実際今も生きている。2010年4月には姪が誕生。その後も新たな姪の誕生や父の死があった。

 この世に生まれ、死を迎えるということ。それは万人に等しく与えられている。人生の終始を自分では決められない。始まりも終わりも自分の意志と無関係。思い通りにはならないし、始末はつけられない。

 家族の生死も同じ。家族の生死に直面してきた人はみなそれぞれが違う思いで、今を過ごしていると思う。その思いを言葉で表現するのは難しいのかもしれない。

 一昨日は9月に3歳になった姪の運動会だった。この姪とは生まれる前からかなりの時間を共にした。そして、一緒に住む姪2人とも振り返れば長い時間を共にしてきた。一昨日はそんな姪たちのことにも触れた内容をnoteに投稿した。

 今日は3歳の姪が誕生する前日に書いたエッセイ「人生の終始と笑い」を届けることで、あなたが前を向くきっかけになったらうれしい。

近くのカフェのコスモス

エッセイ「人生の始終と笑い」

2021年9月5日

 三女の妹は今日で妊娠38週目。ずっと逆子が治らず、今日、大学病院に入院し、明日も逆子が治らなければ帝王切開分娩となる。妊娠までの道のりは長く大変なものだったが、悪阻の辛さはあったものの、母子ともに順調に今日まで来られたことはなんとも有難い。外界はコロナ渦中で相変わらず不穏続きではあるが、小さな命がお腹の中で大切にされて成長してきた奇跡に感謝で一杯だ。あとは母子が無事に対面できることを祈るばかり。

 一緒に暮らしている11歳と8歳の姪の出産にも立ち会ったが、当時は母がまだしっかりしていて、次女の妹の産後のサポートに入ってくれた。そのため、どこかお産は他人事みたいなところがあった。しかも、次女は中国で妊娠し里帰り出産だったので、期間限定の「出産・子育て」のかかわりとなった。しかし、上の姪の出産は大変だった。妹の子宮が捻転していたことが分からなかったため、妹は激しい痛みに襲われ入院、急遽帝王切開での出産となった。出産を終えた妹が麻酔の影響で酷く震えて病室に戻ってきた姿が忘れられない一方で、小さな赤子はほんとうに可愛かった。もう11歳になる上の姪には、私の中の子どもに対する特別な思いを引き出してもらった。

 下の姪の出産も里帰り出産となった次女。2013年1月の出産に控えて帰国。当時4月で3歳になる上の姪の面倒を私がよく見た。とにかく活発な姪の相手にからだを張って取り組んだ。下の姪も帝王切開の予定ではあったが、予定日前に破水。私と上の姪は一緒に固まった。三女の妹が病院に連れていき手術となり無事誕生した。下の姪は小柄な妹のなかで大きく育ち過ぎたようだった。父親似の下の姪は小学3年生にしては、スラッとしていて身長が高い。思春期に突入して丸みを帯びてきた上の姪とは対照的だ。第二次成長期ですが自分のからだが変化している様子を、客観的に口で伝えてくるあっけらかんとした彼女の性格に毎回驚きを隠せない。

 二人ともこの歳になるまで病気も怪我もなく無事に育ったわけではないので、子どもが成長する過程には様々な困難も伴うことを思い知らされてきた。他方、子どもの育ちそのものが、どれだけ興味深く、面白いことかを目の当たりにもしてきた。家庭で、幼稚園という職場で、また、大学での学びの中で子どもにかかわることで私自身も育てられてきたのも確かだ。だから、子育てが大人を育てる上でとても重要な役割を担うことも実感している。

 妹夫妻も子育てを通して成長してきたことがよくわかるし、「子は鎹(かすがい)」というのはよく言ったものだと思う。夫婦間でなくとも家族レベルで、社会レベルで本来子は鎹であってしかるべきだと思う。しかしそうではない社会。気候変動、コロナなど先行き不透明な時代の中で、次世代のためにどう動くかを常に考えている。最近若手の子どもをもつ研究者たちが色々策を練っている姿を見ると、ちゃんとした問題意識をもつ大人がいることに安心する。一方、私利私欲のために多くを手放せない年老いた為政者たちの姿に落胆もする。でも、私も大したことはしていない。

 昨日、次女の妹に「のりちゃんはもう初老」と言われた。8日で47歳になる私は既に初老の域なのか、と寂しいやら感慨深いやら。大したこともせずに、ほぼ迷惑かけまくりの人生を送ってきた私の余生に思いを馳せてみる。初老ならば、三女の妹の産後ケアも初老なりにやるしかないし、そもそも難病もあるのだから、無理は禁物。老いが進む母や祖母の不満を見聞きするたびに、機嫌のいい老人になりたいという思いが強くなる。しからば、初老の私が笑顔で日常を過ごすことが年老いた人にもこれからの未来を生き抜く人にも、子育てに奮闘する人にも一番の特効薬なのかもしれない。人生の始まりも終わりも自分では決められない。だから、今は笑っていたいと思う。

クレマチス。笑っているようにみえる

今私はどのあたり?

 今、私は人生のどのあたりにいるのだろうか? 先日ある方に「一本横に棒を描いて、好きなところに縦棒を入れて」と言われた。私は、横に一直線描いた棒の真ん中に太い縦線を描いた。理由を聞かれ「人生半世紀を生きたから」と答えたのだった。

 20代後半で難病のSLEとわかり、何度か人生の危機もあった。そんな私が50歳になれただけでも有難いのに、どこかでまだ半分という思いがあるのだろうか。人生100年時代というキャッチコピーが刷り込まれているのか、それは分からない。ちょっと謙虚さを失ってはいないだろうか。

入院中に父がプレゼントしてくれた紅葉を描いたもの

 だから、今を生きられることに感謝したい。そして、こうして生かされているのだから、自分の心が望むことにしたがって生きたいし、少しでも誰かの力になれたらうれしいと思う。


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