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今こそ必要な深呼吸
なんでこんなにもせっかちなのかな、と思う。夢中になることがあるとなかなか止まらないことも多い。昨日も「止まることも大事」と声をかけてもらった。「今日は余裕をもって過ごそう!」と思っていたのに、結局一日いろいろと動いていた私。日めくりカレンダーを見ると「ゆっくり深呼吸してから。」とある。
一息ついた後、29歳の私から急ぎがちな50歳の私に届けたいエッセイを見つけた。深呼吸して読むには長いかもしれない。でも、あくせくと汗を流して、我慢して、踏ん張って、一生懸命になって急いで生きている人がいたら読んでもらえたらうれしい。
2004年6月
エッセイ「深呼吸の必要」
映画の中で、水泳大会のスタート台で深呼吸をしたためにビリになった女の子が「楽しかった。ビリはビリですけど」と語る場面がある。「ビリは一番時間を使う人、一番時間得するのです。人生、長くなっているでしょ。息せききって走っていると、体力も気力ももたないですよ。やはりたちどまる必要がある」・・・・・・。何かあるとすぐに弱者へのバッシングが始まるような時代になってしまった。深呼吸することさえ忘れているからだろうか。長田さんはこう言った。「それは、今の時代が人と人との関係に重点が行き過ぎているからです。こういう時代だから深呼吸が必要です。深呼吸すると、その時間は案外長いんですよ
「呼吸」は、ここ数年来、私の関心ごとの1つ。3年前に、ある教え子のお母様からいただいた手紙にこんな言葉があった。「人生で一番大切なことは呼吸すること。生きがいや自分は何の必要があって生まれたかなどということは三番目、四番目くらいのことで、息を吸うときに神様を吸い込むように両手を上に上げて、思いっきりたくさん息を吐くときに自分の邪気を全て吐き出すように、意識する。人は息をするために生まれてきたのだから、こうしていれば自分の中に神が満ちていく。自分の望む方向を神が導いてくれる、ということでした。故に、過去よりも、未来よりも、現在が大切であり、今を生きるということにつながる。」
その当時の私にとって強く心に響く言葉であった。きっとそれから「呼吸」ということを意識するようになったのだと思う。竹内敏晴さんの著書の中にも呼吸の重要性は語られていたし、我が家でここ数年来ブームになっている気功においても呼吸法は欠かせないものであった。また、日本語ブームを巻き起こした斉藤孝さんの著書でも呼吸の重要性について説かれていた。
そんな風にしてことあるごとに私の前に立ち止まった「呼吸」であるが、ほんとうにじっくりとそのことについて考えるようになったのはごくごく最近である。それは病気を得たことと、深く関係しているかもしれない。自分が病気を受容できるようになってからは様々な病気に関係する分野の著書を読みあさっている。それらの中に、呼吸の重要性について言及されているものが多いのだ。そんなときに長田弘の『深呼吸の必要』という詩集にも出会ったのだった。
さて、今日の朝日新聞の朝刊の社会面には「13秒 深呼吸をしよう」という内容の記事が掲載されていた。たまたま今日、Kさんに長田弘の詩集を貸していたこともあり、興味深く記事を読んだ。そこでは、詩集と同じ題名の最近公開された映画についても述べられていた。そしてその中の一部分が冒頭の引用にあたる。
「ビリは一番時間を使う人、一番時間を得するのです。人生、長くなっているでしょ。息せききって走っていると、体力も気力ももたないですよ。やはりたちどまる必要がある。」
という言葉にはっとさせられた。今日、Kさんと観た「地球交響曲(ガイヤシンフォニー)」第一番に出演していたラッセル・シュワイカートの言葉と重なったからである。アポロ9号の乗組員だったシュワイカーは宇宙の中でほんの少しだけ失業者と同じような立場を味わった。そこで味わった体験の教訓から、「人生には失業も必要だ。それによって見えてくるものがある」といったことを映画の中で語っていた。
その言葉は、わき目も振らず走ってきて、今失業の真っ只中にある私にとってとても重みのあるものであった。実感としてもそれを体験していたし、やっぱりそういう時間というのは必要なのだ、ということを言ってもらえている気がしてなんだか安心したのだ。
また、今日映画を見終わった後、各駅停止車の電車にあえて乗った私たちのことを想った。「急ぐ必要ないからゆっくり帰りましょうね」とお互いに共鳴してその電車に乗り込んだのであったが、私はそこでふと谷川俊太郎のある詩が想い起こされたのだった。「時速200キロ 田植えをする人の手が見えない 心が見えない」である。きっと私たちの心の中にはシュワイカーの言葉が残っていたのかもしれない。そして、ゆっくりと各駅に停車をしながら進んでいった電車の中で、私たちはとても豊かな時間を過ごすことができた。
こうして考えてみると、私たちは何をそんなに急いでいるのだろう、と思わずにはいられない。あくせくと汗を流して、我慢して、踏ん張って、一生懸命どこに向かっているのだろう。もしも呼び止められ、そこで深呼吸をしたなら、誰もが気づくであろう。自分がいくつもの落し物をしているということを・・・・・・。
それはよいことです。
風は見ることができません。
ところがその風が砂を動かしています。
ゆっくりと、何気なく見過ごされてしまう中に、
いろんなことが隠されているものです。
何もないと思えば何もない。
何かあると思えばきっとある。
大事なのは気づくことです。
これは、ある舞台の宣伝チラシの中にあった言葉。これも3年以上前に教え子から送られた手紙に添えられていたものだ。私たちは、あまりにも急ぎすぎていてたくさんのものを見過ごしている。ほんとうは、その人に必要なメッセージは周囲にちりばめられているというのに・・・・・・。多くの人がそれに気がつかずに通り過ぎてしまっているのだ。だからこそ、今私たちには深呼吸が必要なのだ。
『地球交響曲~ガイヤシンフォニー~』の映画の第二と三部を3週間前に観た後、今日第一部を観る機会に恵まれた。私はこの映画を通して、地球との一体感を感じることの重要性というのを痛感した。地球は一個の生命体であり、全てはつながっているという意識を持つことにつながるのだが、これはまさに「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」といった宮沢賢治の世界を具現化しているものといっていい。
もしも、人に優しくすることが、自分に優しくすることにつながっていると気がついたら、もしも、人を傷つけることが、自分自身を一番傷つけることになると分かっていたら、そして、もしも全てが一体であり、関係性の上に成り立っていることをいつも感じていたら、きっともっと世界は平和になるのではないかと思う。
映画の中で宇宙を一番強く感じることができるのは呼吸を通してである、と言っていたような気がする。一日にほんの数分でもいい、もしも深呼吸をして、心を静め、宇宙との一体感を味わえるような時間を持てたなら、きっと私たちの魂は深い色へと変化していくに違いない。
手を止めてゆっくり深呼吸をしてみた。止まって、深呼吸をしたらからだが緩んだ。心も緩んだ。