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宮沢賢治著「虔十公園林」とデクノボー精神

虔十公園林を初めて読んだ時、「雨ニモマケズ」という詩の中で語られる「ソウイウモノ」がこの作品の虔十と重なった。

作品の中で虔十はちょっと知恵おくれの子として描かれている。きっと今でいう発達障害であると受けとることもできる。幼稚園で、7年間、障がいを抱えている子どもたちの支援の仕事をしていた。発達障害の子たちは、とりわけこだわりが強かったり、几帳面だったりといった特徴がみられることがある。虔十が一つのことに無心で取り込む姿勢とか、杉苗の穴を「実にまっすぐに実に感覚正しく」掘るという几帳面さが彼らと重なって、とても愛ししい。

障がいや難病に限らず何らかのハンディキャップを抱えている人にとって、生きにくさを感じることも多い社会だ。にもかかわらず、前向きに生きている人もたくさんいる。私がかかわっていた障がいを抱えている子どもたちは多少の生き辛さを感じながら、本当に純粋にまっすぐに生きていて、彼らと接していると救われたことが多い。難病のSLEを抱える私だからこそ感じることもあった。

ところで、「雨ニモマケズ」の賢治が理想とした人物、それはまず、「雨ニモマケズ……丈夫ナカラダヲモチ」とあるように、賢治自身が病弱であったため「丈夫ナカラダ」に対する願望は高かったのではないか。虔十はチフスにかかって死んでしまうが、作品の内容から、丈夫な体の持ち主であったことが想像される。

「欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル」から、賢治が自身の欲深さや感情の起伏の激しさを恥じていた、あるいは、そういう自分自身をどうにかしたかったと常に思っていたのではないかと感じた。それに対し、虔十は人生でたった一度きり頼み事しかしていないし、怒ったことも人生でたった一度きりだった。虔十がよく笑っている様子も描かれている。

「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」からは、誰しも損得勘定というものがあり、人の話も自分に関心のあることしか耳に入らず、他者を理解しようとしない上に、すぐに忘れてしまうことも多い。法華経の信仰の影響も多大ではあったと思われるが、そんな普通では簡単にはできないことを賢治は強く願っていたように思う。しかし、虔十はそれに近いことを意識することなく、できていた。

「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」とあり、ここに「デクノボー」という言葉がでてくるのだが、褒められず、苦にもされないデクノボー精神こそ賢治が理想とした生き方であったと考える。ここで、「デクノボー精神」とは何かというと、この作品でいえば、私なりの解釈であるが、周りからは決して賢者と言われるのではなく、むしろ馬鹿にされたり、いじめられたりしても自分の心が望むことを朴訥なまで純粋に行い、地道に生きる精神のあり方ではないかと考える。

そして、この作品の中の重要な賢治のメッセージが博士の言葉の中にある「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」といえるが、ちょっと足りないと思われていた虔十が残した杉の公園林が「本当のさいはいが何だかを教えるか数えられませんでした」とラストの部分に繋がっていく。

この作品では「ただどこまでも十力の作用は不思議です」と十力という仏の真の知恵が働いていることを暗に示しているようにもとれるが、そういう宗教的観念を超えたところでも、この言葉を考えるところに意味があるのではないかと考える。きっと賢治が求め続けた本当の幸いも難しく考えることではなく、ごくシンプルな中にあったのではないかと思う。作品の中で虔十は途中で死んでしまうが、杉林は公園林として残る。そして、賢治の作品も後世に残り、評価されていることに不思議な伏線を感じる。

賢治は後に記すことになる「雨ニモマケズ」のデクノボー精神をこの作品の虔十に投影し、自分の考えを伝えようとしたのではないか。

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