『ベニスに死す(映画)』〜グスタフの悲哀と現代の視点—『ベニスに死す』は今どう映るか?
視聴環境:U-NEXT
【内容】
中年の危機を迎えた音楽家グスタフは、旅先で見かけた美少年を追い求めた末、現地で流行していた疫病にかかり死を迎える。
【感想】
グスタフの感情は理解できなくもないですが、全く共感できない映画でした。
小説家・平野啓一郎さんのトークイベントで『ベニスに死す』がテーマだったため、この映画を観めみました。映画に登場する美少年は、監督ルキノ・ビスコンティも惚れ込んだ存在だそうです。イベントでは、その美少年が後に変わり果てた姿で人前に現れたというエピソードが語られ、気になって調べたところ、彼が映画『ミッドサマー』で酷い最期を迎える白髪の老人として出演していたことを知りました。ここまでの美少年だと、周囲も放っておかなかったようで、彼のその後の苦労についての記事も目にしました。
美少年を追い回す中年男性を描いた映画なんて、今の時代では到底制作できないでしょう。現代ならすぐに通報されるでしょうし…。もし今このテーマで映画を作るとしたら、ホラーやコメディの要素を強めない限り、作品として成立しないでしょう。しかも、誰がその映画を観たいと思うかという根本的な問題があり、企画段階で頓挫しそうです。主人公を女性に置き換え、社会問題を絡めた内容にすれば、なんとか映画として成り立つかもしれませんが…
さらに奇妙だったのは、グスタフが髪や髭を暗く染め、化粧を施す場面です。コメディとして見せたいのか、それとも中年男性の哀愁を表現したかったのか、意図が曖昧で不思議なシーンでした。
巨匠ルキノ・ビスコンティの代表作だと言われるこの映画ですが、ベネチアの風景は美しいものの、今の時代、こうした映像が幾らでも観られる中で、ただ淡々と映像を見せられても退屈に感じてしまいました。
また、キャリアが成熟した映画監督が、自分の作品や人生に迷いを感じ、その迷いを作品に反映するという、いわゆる「巨匠の自己探求」の一作だとも思いました。子供の頃、テレビで放送されていたこうした映画は、大人になったら面白く観られるかもと思っていたのですが、いざグスタフの年齢に近づいてみても(もしかすると彼より年上かもしれませんが)、やはり共感できないなと感じました。
【追記】
自分自身が、この作品の何にピンと来ないのかの2つの理由があるのだと思い至りました。
1つ目は誰もが惚れ惚れする容姿問題。
美少年役の子が、美しいとは思いますが、そこまで夢中になれるかというとピンとこない。トーマン・マンの原作では、あくまでも彼の容姿は、読者にゆだねられているということ。
2つ目は、映画における美しい景色問題。
映画で映し出される美しい景色を、どう感じるかということです。
映像で映し出される像は、あくまでも実景を映したものであり、撮影機材や構図、モンタージュによってその見え方は計算できるものの、それはあくまで実景とか映像という枠組みがあるので、それ単体で鑑賞されることを想定されたものではない。映像の1コマを切り取って鑑賞に値するものは成立するもの存在するとは思うが、なかなか成立しにくいし、それが映画として面白く感じるかは別問題であるのではないかと思う。
単体で長時間の鑑賞に耐えるように作られている絵画表現とは別物である、時間芸術としての映画の『美しい』は、その映像に映し出された事物とは別のものではないか。
掘り下げていくと、この映画の『美しい』に関してこんなことを感じていたということに思い至りました。
【追記2】
この映画に出てくる美少年ビョルン・アンドレセンのことを調べていたら、池田理代子の漫画「ベルサイユのばら」の主人公オスカルのモデルになっているとのことでした。
なるほど、言われてみるとよく似ているし、当時の少女マンガに出てくる白馬に乗った王子様感があると感じました。
https://eiga.com/movie/56941/