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『君の名は。』(アニメ映画 感想4回目)

視聴環境:Amazon prime video

※ネタバレします。


【内容】
地方の女子高生ミツハと東京の男子校生タキの心が、定期的に入れ替わってしまうようになる。タキは、ミツハのことを調べ始めるが、ミツハはある重大な事件(?)に巻き込まれていたことを知り…


【感想】
かなりテクニカルに様々な手法を使いまくっているなあと…
色んなジャンルのアニメや映像的な手法を使い倒しているアニメだと感じました。
エンタメとして楽しめる要素を詰め込んだ宝石箱、悪く言えばごった煮のようなアニメだなあと…
背景やカメラワークで、演技というか物語を紡いでいる作品だなあと思いました。

大きく映画ジャンルが途中3〜4回くらい変化していくというのも、この作品の歪で、面白いところだなあとも思いました。


また、声優という面から見ても、色々と気付くところがありました。
まず、主人公の一人のみつはの声優をしている上白石萌音の声が若いというあどけなさを感じる…このアニメに出た頃の後、映画やドラマ、CMに沢山出るようになって、今現在の声を聞き慣れてしまっているので、こんなに変わったんだなあと…
女の人の声というのは、男性とは違った形で、歳とともに変化していくということを感じました。

もう一人の主人公であるタキの都内のバイト先の憧れの先輩役の声優をしている長澤まさみも
、グラビアやアイドル的な立ち位置から、演技派で大人の女性をやるようになっていき…
今は、ナレーションなどでは低めの落ち着いた声を出すようになっているということにも、改めて気付きました。最近の長澤まさみは、声に人生の積み重ねや円熟みを感じるようになっていると感じることが度々あり、青年漫画誌でグラビアで水着姿を披露していた頃から知っているので、年の流れを感じたりもしました。

また、もう亡くなった市原悦子が主人公のみつはの祖母の声優さんをやっていて、声からこの映画の御伽噺的なストーリーを、現実と結び付けているのだと感じました。
また、この声を新作として聴くことは出来なくなってしまったのだなあと思いました。
声には、人それぞれの個性や人生の積み重ねの上で存在しているので、その人が亡くなるということはその声もこの世から亡くなってしまうという当たり前のことを、まざまざと感じたりしました。
おっさんの自分には、この映画は正直最近の映画と言った印象がありますが、2016年公開の8年前の映画で、色んなものが時間と共に変化していることを強く感じたりしました。
この映画が公開された頃に産まれた子供は8歳になり、彼ら彼女らが観るアニメは、このレベルの作品がディフォルトで存在する世界で生きているんだなあと…
宮崎駿アニメやそれまでのアニメとは明らかに感覚や手触りの違うこのアニメの存在は、見えないところで彼ら彼女らに、少なからぬ影響を与えているんだとも感じました。

あと、この映画は改めて東京観光映画なんだなあと思いました。(飛騨の観光映画でもありますが…)

この映画は、シン・ゴジラと合わせて、震災映画といった言われ方をしていましたが、なんかこの映画見直しているとあの頃の福島とかのニュースが思い出されたりもしてきました。
それから、改めて見直していて、ファーストガンダムのコロニー落としのイメージもダブりました。
最初のガンダムのアニメシリーズ、話の冒頭で挿入されていたエピソードで…
ナチス的な覇権主義国家であるジオン公国が、
人の住む宇宙都市(コロニー)を地球に落とすことで、地球に住む人類の人口を激減させ、敵である地球連邦軍を戦力を大幅に削ぐという戦術(?)。
この映画で、新海誠は色んなアニメなどから色んなエピソードを取り込んで制作しているように見受けられるのですが、コロニー落としをモチーフの一つとしているとすると、それはそれでこの映画の見方も違った形に見えるような気もします。
まあ、考えすぎかも知れませんが…
あるいは、『風の谷のナウシカ』の映画のラストのラストの王蟲を始めとした腐海の蟲が、風の谷を襲うシーンとかのイメージも含まれているのかなあと思ったりしました。

むしろ、ファーストガンダムのコロニー落としよりも、その続編的な映画の『逆襲のシャア』で、悪役であるシャアが巨大な岩塊が地球に落下させることで、地球の文明を滅びさせようとしたエピソードに近いのかも知れませんね。
というか、巨大な岩塊が落ちてくるといった時点で、『逆襲のシャア』を意識していなかったとは考えにくいのではないかとも思いました。

個人的に、ここら辺の連想を広げていくとどうしても、オーム真理教の一連の事件が頭を掠めますね。
特に、ガンダムの監督の富野由悠季や宮崎駿の一連の作品とか…
ニューエイジの運動などからの影響から、ガンダムで出てきたニュータイプという人類の新たな進化みたいなものに影響を受けたりといった発言を、オーム信者が語っていたり…
宮崎駿アニメには、怪しげな新興宗教とか、王蟲(オーム)という巨大な怪獣がでてきていたり…
(別に思想など精通したりしているわけではないので、全然間違っているかも知れないのですが…)

ストーリーやエピソードとしては、かなり力技で一本の映画にしている作品ではあるので、見方によってどうとでも取れるような構成にもなってはいるとは思いますが…
ストーリーとしては、かなり破綻ギリギリ危ういところを渡りながら、というかほぼ破綻しつつも、感情的な繋がりと映像のテンションと映像とリンクした音楽で一気に見せているなあと…
あと、それまでの新海誠作品的なバットエンドの可能性が常にあり、それを次々に超えていく局面が続いていくのだなあというのも、改めて見直すと気付きました。
この映画のラストは、映画『バタフライ・エフェクト』のラストをそのままひっくり返しているんだなあと…
それから、この映画の観ている上での心地よさは、物語が進んでいくにつれて、物語の質やスケールがどんどん大きくなっていって、エモーショナルなボーイミーツガールとして、始まりの物語として終わるところなのだと思いました。
次の作品の『天気の子』も、ストーリーとしてはある種破綻ギリギリのところで展開しているというか、ストーリーだけ追っていくとほぼ破綻しているなあと…
ここら辺の『君の名は。』とか『天気の子』は、いわゆる世界系の総決算的な作品なのだったのだなあと思ったりしました。

その次の『すずめの戸締り』のストーリーラインは、とてもわかりやすく明快で、その分わかりやすい分、物足りなさというかテンプレート感があったようにも感じました。

http://www.kiminona.com

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