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『M-1 2024(テレビコンテスト)』〜「M-1グランプリ」で考えた、笑いの難しさと現代の価値観
『M-1 2024(テレビ番組)』〜「M-1グランプリ」で考えた、笑いの難しさと現代の価値観
年賀状を印刷しながら、録画していた漫才日本一を決めるコンテスト『M-1グランプリ』を観ました。
ここ数年『M-1』を観るようになったのは、毎年審査員を務めている博多大吉のポッドキャストがきっかけです。彼が語る審査基準や舞台裏の話を聴いて、漫才を見る視点が少し変わりました。ただ、自分の笑いのツボと彼のような玄人視点は違う部分も多く、全面的に共感しているわけではありません。
また、そもそもここ数年、テレビのお笑い番組をほとんど観なくなったこともあって、今のお笑いとのズレを感じるのは当然かもしれません。ただ、M-1のような大きなイベントには一定数の視聴者が集まるのだと感じました。特に若い世代を中心に、日本人全体がテレビを観る習慣を失いつつある今、こうしたイベント型の番組が求められているのかもしれません。
個人的には、テクニカルで緻密な構成の漫才よりも、キャラクターの魅力が際立つ若手の漫才のほうが面白く感じました。今年で言えば、3年目の若手と5年目のベテランが組んだジョックロックや、若手コンビのバッテリーズがとても印象的でした。一方、構成力の高さでいえば、エバースの漫才も見応えがありました。
博多大吉のポッドキャストを聴いて改めて思ったのは、優勝した令和ロマンのメタ視点です。彼らはM-1という大会そのものを攻略対象として捉え、非常に戦略的に臨んでいると感じました。令和ロマンの2人は慶応義塾大学のお笑いサークル出身で、その背景には受験勉強やビジネス的視点の存在を感じました。8年前に慶応大学SFCのワークショップに参加した際、お笑いをテーマにした研究が多かったことを思い出しました。当時は「なぜ慶応でお笑い?」と疑問に思ったものですが、彼らのM-1二連覇で一つの答え合わせができた気がします。
番組を観ていて気になった点が2つありました。
1つ目は、番組冒頭に島田紳助の手書きメッセージが映し出されたことです。過去の問題で表舞台を退いた彼が復帰を模索しているのではないか、と感じました。松本人志やSMAPの中井正広のスキャンダルが問題になっている中で、かなり違和感を感じました。
2つ目は、審査員9人中8人が男性で、女性はたった1人だった点です。現在の漫才人口を考えれば仕方のないことかもしれませんが、少し時代とずれているようにも思いました。
漫才というジャンル自体にも改めて考えさせられました。笑いには「爆笑できるもの」「なんとなく笑えるもの」「全く笑えないもの」と人によって大きく分かれる部分があります。また、時代性や趣味嗜好の多様化が進む現代では、誰もが笑えるネタを作ることはますます難しくなっていると感じました。
ちなみに、自分も審査員世代に近いですが、この番組のメインターゲットはもっと若い世代だと思います。今年のベストセラー小説『成瀬は天下を取りに行く』では、女子高生の主人公がM-1に挑戦するシーンが描かれています。M-1が若い世代にとっても「かっこいい」と認識されているのだと感じました。
最近観た『キング・オブ・コント』にも思うところがありました。こちらは演劇的な要素や作り込みができる分、今の時代により広くアピールできる可能性を感じています。漫才とコント、それぞれの魅力や難しさがある中で、どちらも現代の多様な観客にどう響くかを考えさせられる番組でした。
https://www.m-1gp.com