なぜ私はこんなにもこの作品にひかれるのか -モーパッサン 青柳瑞穂訳 『脂肪の塊・テリエ館』
文章添削士がおすすめの本を紹介する「文章添削士が推す! 秋の推薦図書」シリーズ。
今回は、矢野多恵さんによるモーパッサン 青柳瑞穂訳 『脂肪の塊・テリエ館』の紹介記事をお届けします。
『脂肪の塊』は、間違いなく私が繰り返し読む本のBEST5に入っています。
しかし、どうしてそんなにひかれるのか、その理由は自分でもうまく言葉にできないでいました。
そもそも『脂肪の塊』とは
読んだことがなくても、この珍妙なタイトルを聞いたことがあるという方は多いと思います。
『脂肪の塊』とは、この物語の主人公、娼婦エリザベットのあだ名。
小柄でふくよかな体つきとみずみずしい肌つやからこんなふうに呼ばれて、人気を得ていました。
容貌に関する記述はさすが自然主義文学を代表するモーパッサンだけあって、細部まで具体的で的確です。
「指など、ぷっくり膨れて、節々だけくびれているところは、短いソーセージを数珠つなぎにしたよう」「密生した長い睫毛が瞳に陰を落としている」なんて、想像がふくらみませんか。
あらすじ
普仏戦争の頃、敵軍から逃れる馬車の一行。敵軍の士官からエリザベットが一晩相手をしない限り、全員出発させないと足止めをされてしまいます。
最初は憤慨しているそぶりを見せていた彼らですが、時間が経つにつれて本性を表します。「それが仕事」「お嬢さんぶるとは」と陰でなじり、なんとか部屋へ向かわせようと画策を続けます。
そして、とうとう、馬車は再び動き出しました。
しかし、もうエリザベットは汚れたものとして皆から遠ざけられ、無視され続けるのです。
ひかれる理由はこれだった
ずっと説明できないでいたひかれる理由は、ある日ふとしたきっかけで明らかになりました。
それは、Eテレの日曜美術館で田名網敬一さんの特集を観ていた時のこと。
田名網さんの作品には、ポップでありながら常に死が同居していました。「田名網さんいいね」「心が掴まれる感じがする」 と盛り上がっているうちに、気づいたのです。
私が好きな作品は、田名網さんをはじめ、どれも生と死、美と醜、清と濁、善と悪など一見反対の概念が同居していることに。
そして『脂肪の塊』もまた。利他の心とエゴイズム、崇高さと下世話な関心、首尾一貫とご都合主義、賞賛と非難など人間のあらゆる感情や振る舞いが語られていきます。
エリザベットの純粋な利他の心が無惨に踏み躙られる場面と、それを平気で行う同乗者たちの呆れるほどの手のひら返しは、何度読んでも腹立たしい限りです。
しかし、純粋な心も醜い打算も、今も誰もが持っている感情でしょう。
そして、あらゆるものがないまぜになったものこそが、人間なんだろうと思うのです。そこに私はとてもひかれます。
決して楽しい物語ではないのに、しばらくするとまた読みたくなる『脂肪の塊』。
あなたも味わってみませんか。
(執筆者 矢野多恵)