テニス上達メモ100.テニスの上達は「足し算」ではなく「引き算」で上手くいく
▶ボールの「回転」「毛羽」を見る
ボールをよく見ると言っても、一般的に慣れ親しんできた見方だと、眺める見方になってしまいます。
そこで、回転や毛羽を見るようにします。
テニスを上手くプレーするうえで大切なポイントは、ボールに集中することです。
テイクバックやフォロースルーに集中しても、同じ形を作る再現性が高まることはあったとしても、ボールを上手く打つ技術は上達しません。
むしろいつも形を同じにすると、動きの柔軟性がなくなって、「ああ来たらこう」「こう来たらああ」と応じる「なんでもござれ」の対応力を損ないます。
▶ボールを「止めて見る」技術
テニスを上手くプレーするうえで大切なポイントは、ボールに集中すること。
そのために、ボールの細部に宿る回転や毛羽を見ます。
なぜか?
こちらで実験したとおり、指の指紋を見ると、動く対象と背景による、主従関係の逆転現象を確認できます。
つまり、回転や毛羽を見ると、動いているボールが止まって、動いていない背景のほうが流れる見え方に改まります。
これまで慣れ親しんできた一般的なモノの見方とは違います。
ですから、「新しい見方」と名づけました。
詳しくはテキストをさらっていただくとして、それはさておき、見方が改まっても上手くいかないプレーヤーは、さらに「足し算」をしようとしがちです。
▶「足す」ことによる相乗効果を期待してしまう
たとえは、「ボールの回転や毛羽を見て、さらに体重移動も意識したら、より力強いボールが打てる」と考えてしまう。
「さらに手首を柔らかく使って合計3つのアドバイスを試せば、もっとスピンもかかる」とも思ってしまう。
足せば足すほど相乗効果が期待できるなどと、勘違いしがちなのです。
▶零(レイ)に至るには一(イチ)を経る
しかし、これこそが上手くいかなくなる最たる原因です。
集中とは、あえて言わなくても「一点集中」であり、「三点集中」ではありません。
三点に増えるとそれは「集中」ではなく、対極の「分散」です。
無心(零)に至るには一心を経ます。
それがボールへの一点集中です。
▶「識」はものすごい情報量を処理している
私たちの「意識」に代表される6つの「識」というのは、普段はあまり気にも留めませんけれども、見たり聞いたり話したり嗅いだり感じたりなどと、感覚器官から受け取るものすごい情報量を仕分け処理しています。
つまり、それだけのエネルギーはすでにあるのです。
あとはそれらを一点集中、束ねるだけでいいのです。
▶クリアなレンズから「フィルター」を外すだけ
つまり、何かを足す必要はありません。
むしろ省けるだけ省いて、集中しやすく仕向けるのです。
太陽光を一点に集めれば、虫眼鏡ひとつで紙さえ燃やせます。
火を起こせる「ハイパーエネルギー」となります。
私たちの識は、虫眼鏡のようなものです。
ポテンシャルは、太陽エネルギーのようなものです。
識は分散しているエネルギーを集める役割を担い、何かを足さなくても天上天下唯我独尊です。
そのポテンシャルはすでに備わっていて、可能性を秘めてはいるのだけれど、「足す」ことによってスポイルされてしまいます。
虫眼鏡が、よりよく見えるようにと勘違いしてフィルターを重ねたら、どんどん見えなくなるのです。
そうではなくて、今持っているレンズから、色のついたフィルターを取り除くのです。
▶ボールを打つのが「怖い」わけ
さて「新しい見方」で、レンズの存在は確認できました。
あとは、今までの常識に習って重ねてきたフィルターを外すだけ。
体重移動、柔らかな手首の使い方、それ以外にも、ヒザを曲げる、軸を正す、スタンス、インサイドアウトなどは、すべてもともとクリアだったレンズを覆う色のついたフィルターです。
テニスを始めた最初のころは、それらを意識していなかったはずだからです。
重ねれば重ねるほど色濃くなって、ボールの回転や毛羽は見えなくなります。
先のリンク先でお伝えしたとおり、私たちが認識できる対象は、「一時にひとつ」が原理原則だからです。
キャッチコピーは「怖れのメガネを外してありのままに見る技術」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」です。
お化け屋敷でも、見えないから恐る恐るになって怖いのです。
辞書を紐解くと、「物事をこわごわ眺めていると、実際とはかけ離れたとんでもないものに見えてしまう」とあります。
ボールが見えないからただの「枯れ尾花」なのに、とんでもないもの「幽霊」と勘違いし、こわごわ眺めてしまって打つのが怖くなるのです。
その正体は、ただの「回転」や「毛羽」です。
▶「宝」は「自己肯定感」が見つけてくれる
足すのではなく、引けばいい。
「引いてダメなら押してみる」とは言わずに「押してダメなら引いてみる」と慣れ親しまれるフレーズは、やはり多くの人が「押そう」「足そう」とする傾向を戒めるためだからではないでしょうか。
すでに、「宝」はあります。
ポテンシャルは備わっているのです。
しかし、自己否定していては見つかりません。
野茂英雄やイチローは、誰になんと言われようと自分のフォームを変えずに「肯定」したから、大活躍しました。
つまり「宝」は、自己肯定感が発掘してくれます。
世間の常識フィルターを外して、自分がすでにもともと持っている曇りのないレンズで世の中を見るのです。
世間の常識フィルターはリンク先にある通り「あんなフォームじゃとらへん」などと野茂に言い放った色のついたレンズです。
足すのではなく引く。
能力は「押し出す」のではなく「引き出す」のです。
▶自己肯定感そのものが、才能を開花してくれる「宝」
イチローは『月刊スラッガー』(日本スポーツ企画出版社刊)2001年4月号の誌面上にて、「言っておきたいのはフォームを変えたのではなく、変わったのだということです。変えるのと変わるのでは全然違うと思います」と言っています。
変えるのではなく変わる。
つまり自己肯定すると、現れるのです。
あとはボールに集中するだけで、プレーの上達が現れ、ひいては試合結果も現れるでしょう。
そのポテンシャルはすでに確認したとおりです。
どこか遠くへ、宝探しに出かける労も要りません。
すでに自身に備わっています。
ただその「宝」が、フィルターのせいで見えないだけ。
自己肯定感が発掘してくれます。
そもそも自己肯定感もすでに誰しも持っていて、幼少期は高かったけれど、最大級の裏目「人に迷惑をかけるな」などの禁止令により埋もれているだけです。
自己肯定感そのものが、持てる才能を開花してくれる「宝」なのかもしれません。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
https://note.com/tenniszero
無料メール相談、お問合せ、ご意見、お悩み等は
こちらまで
tenniszero.note@gmail.com
スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero