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テニス上達メモ484.イメージと集中力とアハ体験と


▶「運動神経」は不要だけど、テニスはやっぱり「スポーツ」


テニスが上達するか否かは、「イメージ」と「集中力」によると、いつもお伝えしています。

双方の掛け算によって「速さ×高さ」の上達の2軸が達成されます

双方はいわゆる運動神経ではないから、テニスが上達するのに運動神経は、運動機能障害でもない限り不要ともお伝えしています。

ただしテニスは初心者ほど「涼しい顔」をしているけれど、上級者になればなるほど「疲労困憊」するという点では、やはりスポーツなのですね。

▶「ない」と思い込んでいても「ある」のが「現実に対するイメージのズレ」


どちらかというと分かりにくいのが、集中力というよりもイメージです。

私の言うイメージとは、「バックハンドはフリスビーのイメージで振りましょう」などという可視化できるイメージとは違います。

それはどちらかというと、フリスビーの動作を考える「思考」

私のいうイメージはもっと潜在的に私たちを支配する力です。

たとえば山道で足元にトグロを巻いている細長い物体を踏みつけそうになったら、「思わず」飛びよけるような、文字どおり「考えずに」私たちを衝き動かす力です。

それは「蛇」「怖い」「踏みつけたらタイヘンになる」などというイメージがあるから、そのような動き方が「思わず」現れます。

それがただのロープだった場合、「誤った動き方だった」というふうにたとえられます。

テニスのプレーにおいても現実に対してイメージがズレていると、頭では分かっていても、そのポジションにどうしても立てなかったり、あるいはボールが飛んで来ると衝動的に誤った動き方をしてしまったりするのです。

▶私に起こった「現実に対するイメージのズレ」問題


イメージは頭では分かりにくいのです。

集中力は落ちていると、何となく感じられますよね。

後述する「ボールの見方」になっていなければ、集中力は落ちていると自覚されます。

ですが「現実に対するイメージのズレ」は、なぜそうなるのか、本人にもなかなか気づけません

私も最近「現実に対するイメージのズレ」を痛感しました。

いつも通っている温泉には2種類の高さの「浴用いす」があります。

いつもは高いほうを使っているのだけれど、その日は全部出払っていて、低いほうしかなかったのですね。

もうお分かりと思いますけれども、いつも使っている高さのイメージで腰を下ろすと、着座タイミングを誤り、「おっとびっくり!」となったのでした。

これとまったく同じように、テニスのプレーでも「おっとびっくり!」があるとすれば、現実に対してイメージがズレているのです。

▶「1球目」で変わる


本人にしてみれば、「現実に対するイメージのズレ」なんて「ない」と思い込んでいるのですけれども、テニスが上手くプレーできないなら、やっぱり「ある」のですね。

こちらでは開眼は大抵「偽物」と書きましたけれども、3つだけ「本物の開眼」があると思っています。

1つ目の開眼は、ズレていたイメージが現実どおりに改まった瞬間。

まさに瞬間ですから、「1球目で変わる」とお伝えしています。

こちらでも述べている「テニスの怖さ」がなくなるのです。

「自分はテニスを怖れてなんかいない!」と言い張るとしても、自信を持って打ったり動いたりできないプレーヤーは、やっぱり「怖れている」のです。

▶『新・ボールの見方』は「アハ体験」


「本物の開眼」の2つ目は、ボールの見方が改まった瞬間。

これもはっきりと自覚されます。

「あ、変わった」と。

ボールの回転や毛羽が見え出したり、ボールサイズの変化が見て取れたりするのももちろんそうなのですけれども、反面、背景が「よく見えなくなる見方」に改まります。

一般的な見方だと、背景の「立体感」まで見て取れるのですが、「新しいボールの見方」に改まると、背景は「一緒くたにベタッと 塗りつぶされた見え方」になり、ボールだけが浮き上がって見えます。

「ボールならよく見ているよ!」と言うかもしれないけれど、この見方にならないとやっぱり「見えていない」のですね。

いわゆる、その瞬間に世界の見え方が変わる「アハ体験」

もちろん「どちらの見方」もできるのだけど、一般的な見方をすると、私もやっぱり打つのが怖くなります
 
単に「見え方」の問題ですから、いわゆる「運動神経」は不要なのです。
 

▶「どんなにひどい相手」でも


そして本物の開眼の3つ目が、「自己肯定感」。

これも「あ、変わった」と自覚されますよね。

無条件の他者肯定を繰り返し続けていると、どんなにひどい相手でも受け入れられるのだから、それはどんなにひどい自分にも、それが適用されます

ですから「他者肯定感=自己肯定感」の相関。

親が子どもの「ありのまま」を受け入れるのが「最強」

そうすると、自分を「許す」ことができます

許すというと「許してあげる」といった具合に、いかにも上から目線だけれど、それは幸せな人生を生きる戦略を達成するための合理的な戦術なのでした。

以上、イメージと集中力とアハ体験と、でした。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero