テニス上達メモ469. 「安心感」が「安心感」を呼ぶ「好循環」の作り方
▶嘘は「大損」!
「嘘の危険性」について考察しました。
嘘をつくと、事実と違う内容を、いつまでも覚えていなければならなくなります。
これが、「ストレス」。
そして嘘をついた直後は記憶がまだフレッシュだから、その内容を覚えていられるけれど、時間の経過とともに事実との整合性が取れなくなって、「頭が悪くなる」。
そのせいで、支離滅裂になったり、同じことを何度も言ったり、二転三転したりする。
本人としては、その場その時に限って「トク」だと思って取り繕えるから嘘をつくのですけれども、実はストレスを抱えて、頭が悪くなる人生の「大損」。
何より、「信用を失う」ほどの損失は、人生においてほかにありませんよ。
だけど、そればかりではないのです。
▶嘘のチリツモ
また私自身を振り返って検証したとおり、「楽しくない」のにみんなに合わせて「楽しい」などと言ったりすると、自分が本当は、何をしているときが「楽しい」のか、「楽しくないのか」が、分からなくなります。
好きじゃないのに、「好き」と言ったりする。
行きたくないのに、「行ってみたい」と言ったりする。
欲しくないのに、「欲しい」と言ったりする。
相手や周囲を気遣う「方便」なのかもしれませんけれども、「嘘」である以上ストレスにさいなまれ、頭が悪くなります。
そんな嘘ばかりついていると、チリツモ(塵も積もれば山となる)です。
顕在意識では全部覚えていられないけれど、潜在意識には記憶回路が混線したデータとして残る。
本音と建前が乖離するので、心が「安定」しないのです。
つまり「不安」。
「類は友を呼ぶ」の教えのとおり、「不安は不安を呼ぶ」のでしたね。
ワケもないのに不安な感情に見舞われるのは、そのせい。
▶「本音」を言ってもケンカにならない対処法
「何が楽しくて、何が楽しくないのか?」
「何が好きで、何が嫌いなのか?」
「本当はどこに行きたくて、行きたくないのか?」
自分でも、分からなくなる。
整合性が取れなくなるのです。
逆を想像してみてください。
本音と建前が一致し、一切の嘘がなければ、なんと晴れやかな心持ちでしょうか。
「嘘のひとつもつかないなんて堅苦しい」と思われるかもしれませんけれども、まったくの逆。
全然「苦しくない」のです。
そうは言っても、「本音ばかり言っていたらケンカになる」。
そんな場合の対処法、ちゃんとあります。
▶嘘がなくなると「自分軸」を発見する
嘘がなくなると、自分にとっての「楽しい」や「好き」や「行ってみたい」が、自分軸で分かるようになります。
世間軸、あるいは他人軸(あるいは後述する値段軸)に、合わせずに済みます。
世間や他人は、引っ切り無しに問いかけてきますからね。
「みんなやってますよ!」
モノやサービスや情報を、売らんがために。
「そんなの面白いの?」
マウントを取るために。
自分軸がないと「私がオカシイのではないか?」という不安に見舞われるから、不安が不安を呼ぶのです。
▶自己肯定感低めは、「沈黙」が苦手?
そうは言っても、「本音ばかり言っていたらケンカになる」。
そんな場合は、何を「話す」かではなく、何を「話さない」か。
何しろ話さなければ、「嘘」のつきようがありませんからね。
「見ざる聞かざる言わざる」の三猿(「しざる」の四猿もあるけれど)は、応用範囲の広いライフハックです。
口から出まかせを言いそうになったら、「とにかく沈黙」で大丈夫。
だけど、「沈黙」を苦手とする人もいるでしょう。
つい、自分から話してしまうそのワケは?
何も話題を提供しないような「自分には価値がない」という自己肯定感の低さに由来しています。
「ただいるだけ」で価値ある存在。
これが、「自己肯定」です。
▶沈黙の静寂を楽しむ
何も話さない自分に、「罪悪感」すら覚えてしまう。
その罪悪感に「耐えられない」から、話してしまう。
頑張って話そうとするのは、そうしないと自分の無価値を「証明」するようなものだから、ますます自己否定感にさいなまれます。
どうすればいいでしょうか?
まずは、「そっか、今は沈黙に耐えられないんだなぁ」と、ありのままを受け入れる。
そうすればやがて、「沈黙」の静寂を楽しめるようになりますし、話したいときは「嘘偽りのない自分」として話せるようにもなります。
▶本音を話す「安心感」が「安心感」を呼ぶ
気軽に本音を話したいのに話せないのは、自分を良く見せようとして他人を欺くなんらかの「嘘」が、混じっているからなのです。
結局「良く見せよう」とするのも、ありのままの自分なんて大切に思えない「自己否定」なのですね。
ありのままの自分でありのままに話せるようになると、「罪悪感」どころか「安心感」すら覚えます。
取り繕う「出まかせ」が前提だから、ビクビクする。
だからとにかく、「嘘をつかない」と決める。
ただそれだけで、安心します。
そして「類は友を呼ぶ」の教えのとおり、「安心感」が「安心感」を呼び、どんどん本音を話せるようにもなるのです。
そうすると、自己肯定感が高まらないはずがありません。
▶値札を見ずに買う「すごい節約術」。自己肯定感もさらに高まる!
自分の「楽しい」や「好き」や「行きたい」を知るために。
私が平素より心掛けているひと工夫は、値札を見ずに買い物をする習慣。
そうすると自分が本当に「好き」かどうかが、掛け値なしに分かってきます。
値段を見ると好きか否かに関わらず、つい「安いほう」を選んでしまいがち、ではないでしょうか?
そうすると「自分軸」ではなく、今度は「値段軸」になってしまいます。
値札を見ずに買う……。
一見すると「浪費」のような印象かもしれませんけれども、本当は好きなものだけ厳選してほんの少ししか買わないから(怖くて買えないから?)、むしろ、やろうとしていないのに「すごい節約」になってしまいます。
たまに、オリーブオイルが1本2000円くらいだったりしたときには「贅沢したかなぁ」と思います。
それでも1回の料理で使う量なんて、「数円分」程度。
「自分軸」だからこそ「これでいいのだ!」と、心から自己肯定できるのです。
▶「身口意」の一致でボールが見える見える!
行動と発言と思考の一致を図ると先述しました。
専門用語では、「身口意(しんくい)」と言います。
身口意の一致は、「実況中継」「ライブ配信」、呼び方は何でもよいのですけれども、言葉の力を借りて今を確認する言語化作業を通じて可能になります。
初歩的なマインドフルネス(坐禅)では、呼吸について「吐いている吐いている吐いている吐いている」「吸っている吸っている吸っている吸っている」などと言語化しますが、それと同じ。
いつもご紹介していますが、私の例で言えばこんな感じ。
「しゃがむしゃがむ掴む伸ばす伸ばす触れる掴む引く引く押す立つ回る回る伸ばす伸ばす置く」
棚の引き出しからニンジンを取り出して、まな板に乗せるまで、です。
こういった今の行為行動を、四六時中実況中継しているぶんには、「嘘」の入り込む余地がありません。
そして逐一、現実の行為行動を口にし続けるから、リアルタイムの確認作業を兼ねられて全然失敗しないのです。
ところが黙々とやると、思考(嘘)が始まってしまいます。
テニスでいえば黙々とプレーしていると、「ミスしたらどうしよう……」「このままだと負けそうだ……」などと思うかもしれないけれど、それらは事実ではない内容。
いわゆる「妄想」なのですけれども、広義の意味ではセルフトークによる「嘘」と、ここでは位置づけてよいでしょう。
ですからつねに「(ボールが)見えている見えている見えている見えている見えている見えている」などと発声しながらプレーすると、本当にボールが見え続けます。
「見えている」のは、「嘘」ではありませんからね。
とはいえ、言葉を使うと言語中枢の左脳を刺激する恐れがあるから、「感覚的なテニス」が妨げられる場合があります。
それを完璧に補ったのが『究極のテニス上達法』です。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO(テニスゼロ)
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