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イップス克服に向けて014:やっぱ自分は欲深なんだと自己否定してしまう
吉田さん
こんにちは。※※です。
あれから、1ヶ月、結局まだまだ改善していません。
この一ヶ月の間にも、フォアはテイクバックを肘から引くとかいうコツからなかなか抜け出せきれず、また、よかったときの打ち方を意識的に再現しようと壁打ちに行ったり、素振りのフォームを変えてみたりと、見事にこうすればよくなる系の思考にはまってしまっていました(苦笑)。ただ、これらは苦しみに猪突猛進する原因だと実感できたことは大きかったです。足るを知る、死を意識するなどは、忘れてしまい、というか、意識してもその瞬間だけで、継続性がない感じです。
他方で、2バウンド直前ゲームを少ししていたのですが、普通 のラリーより2バウンド直前ゲームの方がフォアハンドは上手く打てるときがありました。これは、フォアに関して現実とイメージのズレが生じているという証拠なのでしょうか?ただ、まだ、2バウンド直前ゲームから元のラリーに戻したときにフォアに違和感が生じるのは変わりありません。やはり、現実とイメージのズレがなくなれば普通のラリー練習でも違和感なく打てるのでしょうか?もう少し2バウンド直前ゲームをした方がいいのでしょうか?
ただ、今また、アキレス腱が少し張ってくるときがあるので、前後に急激に動く2バウンド直前ゲームはそんなにできないかもしれません。
あと、以前アドバイス頂いた、「ピッと」止まるとタイミング合わせをやってみましたが、 やはり飛んでいくボールの回転はよく見えるようになってきました。ただ、これも現実とイメージのズレがあるためからか、続けていてもコントロールがよくなる気配がなかったのでやめてしまいました。
今の課題は、現実とイメージのズレがあるのであればそれを解消することと、とんでもないミスをしたときでもミスを嫌悪せずに飛んでいくボールを見届けることだと思っています。あと、テニスができることを喜んでする、ということも他の方からアドバイスを頂きました。ただ、どうしてもテニスができるだけ幸せと思えず、やっぱ自分は欲深なんだと自己否定してしまっています。まずはそういう自分に気づいていきたいと思います。
長文になり申し訳ありませんが、 アドバイスよろしくお願い致します。
回答
▶メンタルトレーニングは、「心の筋トレ」
「フォアはテイクバックを肘から引く」などの「フォーム」を意識するのは、苦しみに猪突猛進する道です。
「壁打ち」も、エクササイズ目的などでやるならまだしも、それで競技テニスの上達を志すならば、後述する「ズレ」を拡大させてしまいかねません。
さていつも申し上げていますとおり、メンタルトレーニングは、「心の筋トレ」です。
反復横跳びのように、「逸れては戻す・逸れては戻す」のを繰り返すのが、集中力のトレーニングでしたね。
「継続」することで、たくましくなります。
どんなに激しいトレーニングをやっても「三日坊主」では、一過性にすぎません。
それと同時に筋トレで成果を上げるには、何が必要でしょうか?
▶「死を意識」し「足るを知る」と、「富む」
ひとつは、「負荷」です。
重いバーベルを上げられるほど筋肉はたくましくなります。
心もそれと同様。
「死を意識する」「足るを知る」を継続しつつ、それらへの信念を強くして、散漫(怠慢)になりかける心に負荷をかけます。
信念が強ければ強いほど、負荷は高まります。
負荷であるからこそ、向上するエネルギーでもある。
ですから「死を意識する」「足るを知る」と、「富む」のです。
それとほかに筋トレで成果を上げるには、何が必要でしょうか?
▶筋肉は鍛えている最中ではなく、休んでいるときにたくましくなる
「休養」です。
トレーニングにより負荷のかかった筋肉が、以前よりもたくましくなる「超回復」が、休養により生じます。
ですからアスリートにとっては「休養もトレーニング」などと言われます。
これに相当するのが、心のトレーニングの世界では「何もしない」。
トレーニングで筋肉がたくましくなるのは、トレーニングをしている「最中」ではなく、「休んでいるとき」です。
「トレーニングで筋肉がたくましくなる!」といっても、トレーニングしている「最中」は、むしろ一旦弱りますからね。
その後にトレーニングを「しない」時間を取ることが必要です。
それと同様に心も、「何もしない」ときにたくましくなる。
ただしそのためには、ただノンベンダラリとするのではなく、事前に、筋トレに相当する心のトレーニングが必要です。
ちなみに筋トレで成果を上げるには「栄養」も必要ですが、心のトレーニングでそれに該当するのが「自己肯定感」という話を後述します。
▶比較しないと、判断できない!
フォアハンドにおける現実とイメージのズレにつきまして。
アキレス腱の張りが収まってからお試しいただきたくご提案申し上げるのは、2バウンド直前ゲームの応用編。
「相手2人対自分1人」で行なう2バウンド直前ゲームのストローク練習で、なおかつ相手2人のうち、1人はスピン系、1人はフラット系など、違うタイプのプレーヤーから交互に打ち分けてもらえると、「比較」によりイメージのズレが認識しやすくなり、その結果、改まりもします。
どういうことかというと、比較しないことには、私たちは高いも低いも、長いも短いも、高いも安いも、暑いも寒いも、重いも軽いも、一切の判断ができないのです。
▶曖昧な表現は「ズレ」を招く
たとえば「テニスボールは、大きいですか? 小さいですか?」と問う。
ある人は、「大きい」と答えるかもしれませんし、ある人は、「小さい」と答えるかもしれません。
しかし客観視できる人なら「分からない」と答えます。
それは、ビー玉と比較すれば「大きい」し、ドッジボールと比較すれば「小さい」のであり、ストロークでいえば比較がないことには、深いも浅いも分からないはずだからです。
それで比較がないためにストロークの実践シーンにおいては、たとえば対戦相手のボールが「浅い!」と思って突っ込んだら、打点が詰まってしまうなどの「ズレ」にさいなまれます。
そのせいでヒジが縮こまるなどして、「フォーム」が乱れるのですけれども、だからといってヒジを伸ばせば上手く打てるかというと、そのような単純な話ではありません。
それ(ヒジが縮こまったの)は「結果」であり「原因」ではないからです。
だけどこんなとき、常識的なテニス指導は「ヒジが曲がりすぎているからもっと伸ばせ!」などと、これまた曖昧な表現でズレを助長。
そうやって見た目の現象として現れる「結果」を取り繕おうとするために、本質的な問題であるところの「原因」が改まらないから、プレーヤーはさまざまな症状にさいなまれ続けます。
ちなみにこれは人間関係のコミュニケーションも同じで、相手を気遣うつもりで急かすニュアンスを含ませないように「なる早」などと曖昧な表現をすると、自分としては「1時間後」をイメージしているつもりでも、相手にとっては「3日後くらい」に解釈するズレが生じ、こじれる原因になります。
後述する「自己肯定感」にも通じますが、「なる早で」などと言葉を濁さずに、「あと1時間で」などとダイレクトに伝えるコミュニケーションが、「自他を大切にしている」姿勢と言えます。
※参考記事「イップス克服に向けて010:少し救われた気持ちになった」
▶赤面症を治しても意味がない
心理学者のアドラーは、告白するにあたって「赤面してしまう」女性の症状を、治そうとはしませんでした。
それは「結果」であり、「原因」ではなかったから。
アドラー流に変換して私なりに意訳すれば、失恋した場合の保険として彼女が赤面症を「必要としている」目的論という見方がなされます。
赤面するのは結果であり、本質的な問題は「失恋を恐れて告白を避けようとする自己否定」にある。
それを治さない限り、赤面症が収まっても新たな症状が「必要とされて」作り出される。
テニスも同じで、赤面症という見た目の現象面だけを取り繕っても、本質的な問題(ズレ)が改善されない限り、また別のフォームがエラーの原因として作り出されるだけなのです(ヒザが曲がっていないとか、身体が開きすぎだとか)。
そしてそれは常識的なテニス指導を行なうコーチたちにとって「必要とされている問題」といったら、言いすぎでしょうか?
上記のエピソードはベストセラー『嫌われる勇気』に記述があるそうです。
▶「自分」などいない?
ちなみに現実とイメージにつきまして、「確固たる変わらぬ自分が存在する」というのが、私たちの人生におけるその最たる「ズレ」なのでしょう。
自分とは一体、何者でしょうか?
たとえば、頭のてっぺんから足先までを形成するこの「身体」でしょうか?
もし仮にそうだとすれば、その身体は「確固たる変わらぬ自分」ではありません。
数日前にトンカツを食べたとしたら、ブタと分子を入れ替えた流動的な存在です。
「身体が自分だ!」といっても、では髪の毛やツメを切ってゴミ箱に捨てた場合、それらも「自分」なのでしょうか?
いえ、髪の毛やツメに限らず、私たちの鈍い観察力により「認識できていないだけ」で、身体(自分)と呼ばれる物体のすべてが、毎日ものすごいスピードで新陳代謝をしています。
「自分とは変わらないこの身体!」というならば、それは新陳代謝しない物体であり、もはや「生命」ですらありません。
▶ウンチが出なくなったら大変だ!
毎日ウンチが出るのがその証拠。
ウンチが出なくなったら大変です。
身体だけではなく、気分や体調や感情や思考も瞬時に変わるから、性格さえ、その時々で変わっているといえます。
記憶すら、脳みその都合により改ざんされます。
年を取らない人はいません。
老化は「変化」です。
「自分」を取り巻く環境や人間関係も、ドンドン入れ替わります。
「確固たる変わらぬ自分など存在しないんだ」と、頭では現実について理解できるのだけれど、私たちは「そんな自分がいる」というイメージを、どこかで抱えてしまっているのが「ズレ」なのです。
そして「とんでもないミスをしたときに嫌悪」するのは、「確固たる変わらぬ自分が存在する」という現実に対するイメージの「ズレ」が、私たちのなかにあるからなのですね、トホホ。
▶人間だもの、仕方ないよね
人間ですから、嫌悪するのは仕方ありません。
そこを、「だから自分はダメなんだ……」などと否定してしまうのではなくて、自己肯定感を以って「人間だもの、嫌悪するのも仕方がない」と、受け入れてあげてください。
これが「自己肯定感」であり、「心の栄養分」となる。
というのもたとえば友人がミスしたときには、「だから君はダメなんだ!」なんて、まさか言わないでしょう?
「人間だもの、嫌悪するのも仕方がないよね」になるはずです。
この他者肯定感と自己肯定感が、「正比例」の関係なのです。
▶自己肯定感の低い人はキレやすい
ちなみに私が常識的なスポーツ指導に口うるさくしているのは、否定でも非難でもなく、「批判」(のつもり)です。
責めるニュアンスを含意しません。
自己肯定感の低い人は意見を批判されると、「自分が責められた!」という感じ方になり、キレやすくなります。
よくキレる人は決して、「勇ましいから自己肯定感が高い!」のではなくて、逆に自分を肯定できなくてナメられる不安があるゆえに極端な自己正当化に走ってしまい、どうしてもキレてしまいやすくなるのです。
周りにもそんなすぐキレる人を、よく見かけるのではないでしょうか?
こちらではDV(ドメスティック・バイオレンス)は、自己肯定感の低さに由来する下りを記しました。
そしてDVからのエスケープはこちら。
これらも、自己肯定感を理解するうえで知っておきたいポイントといえます。
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