テニス上達メモ079.寄せては返すラリーの波に「乗る」技術
▶「リズム」「ペース」「波」「流れ」に乗るために
ノリ。
その場の雰囲気に合わせてふさわしく対応する、テニスに必要なのと同様の、オープンスキル系の振る舞いです。
リズムに乗る。
ペースに乗る。
波に乗る。
流れに乗る。
テニスのプレーにおいてはそういったノリが、フォームや打ち方よりも、よほど優先されるように感じます。
今回は、感覚的な話。
そしてテニスは感覚でプレーします。
▶前の人が遅いとイライラする!?
たとえば歩行スピード。
周囲のペースと自分のペースが同調して流れに乗れていれば、無意識で動けます。
乗っているのです。
自分で動いているような気がするけれど、周りのペースにオートで動かされているといえるでしょう。
このとき、体はギクシャクしませんし、心にもストレスがありません。
だけど前が遅かったり、後ろから急かされたりすると、ペースを合わせる「意識」をしなければならなくなり、立ち止まったり突っかかったりして、無意識で歩けていたのに比べると、動作がギクシャクします。
また流れに乗れないと、精神的にもストレスを感じてしまいがちです。
では果たして、どうすれば乗れるか?
▶ラリーは、寄せては返す「波」のように
ボールが行ったり来たりするテニスのラリーは、寄せては返す「波」のようです。
そしてラリーの波に乗れないと、自分が相手よりも先にミスをします。
だけどひとたび乗れば、つまりラリーが続き出すと、「2球続けば3球が」「3球続けば4球も」「4球続いたら5球目までもが!」といった具合に、前の1球で得た集中のエネルギーが、次の1球に引き継がれて長続きします。
普段はあまり続かないラリーなのに、続き出すと、不思議なくらい長続きする。
恐らく多くのプレーヤーにとって、思い当たるフシがあると思います。
▶「縁起」とは、ノリだった
それは、乗ったのです。
物事は一つひとつがぶつ切りなのではなくて、連綿と影響を及ぼしながら連鎖していく。
今の1球は、前の1球の影響を受けて成り立っています。
前の1球がなかったら、今の1球はないのだし、今の1球がなければ、次の1球もありません。
それが連綿と受け継がれるのです。
これが、「縁起」。
その波が次の波へと影響を及ぼします。
「縁起」とは、ノリだったのですね。
▶手拍子を求めてリズムに乗る
たとえば、陸上競技のフィールド種目。
跳躍や、投擲競技も槍投げなどは試技の準備に入るにあたって、会場に手拍子を求める選手が少なくありません。
乗るのです。
そんな手拍子など求めなくても、跳んだり投げたりはできます。
またやる気を引き出すための儀式(ルーティン)と捉えることもできるでしょう。
しかしそれ以上に、手拍子のリズムに乗ると、体がダイナミックに躍動できる実用的なエネルギーとして賄われる場合があるのです(逆に集中しづらいから鎮めたがる選手もいます)。
もちろん「頑張れー」や「ファイト!」などの声援でもいいのですけれども、乗るには、言語(思考)ではなく、手拍子のリズム(感覚)がマッチするのです。
▶5歳の子どもにもできるのだから
こういう話を聞くと、「自分はノリが悪いから……」といって、及び腰になる人もいるかもしれません。
でも大丈夫です。
『究極のテニス上達法』には、ラリーで行き来するボールの「リズムに乗る」と、記されています。
ボールとプレーヤーとの同調を図ります。
そしてそれは、「5歳の子どもにもできる」と、ご説明しています。
5歳の子どもはあまり思考しない(できない)から、ジュニアプレーヤーは驚異的なスピードで上達する側面があり、それはすなわちここでお伝えしている「感覚」でテニスをプレーしていると言い換えられるのです。
いえ、子どもたちが驚異的なスピードで上達するというよりも、常識的なテニス指導でフォーム矯正に腐心する大人たちの上達スピードが、「驚異的に遅い」のです。
10年やっても、始めたころのほうがまだマシだったという例もある驚異。
ですから大人であっても、感覚的なテニスに今から切り替えれば、やはり常識では考え難いスピードで上達するわけです。
▶乗るには「言語」ではなく「リズム」がマッチする
先のフィールド競技よろしく、あたかも「手拍子の波」に乗るのです。
そのためには、「素早く引く」とか「肩をターン」などの言語(思考)ではなく、やはりリズム(感覚)がマッチするのですね。
同調が始まると、歩行スピードを合わせようと意識しなくても勝手にストレスなく足が進むがごとく、体がオートでテニスをプレーし始めます。
1球で得たエネルギーが次の1球に引き継がれる、まさに「縁起」です。
▶なぜか分からないけど、ラリーが続く!
リズムに乗って、寄せては返すラリーの波に乗ると、自力でプレーしているというよりも、何か大きな「他力」に動かされる感覚になるプレーヤーもいます。
恐らくテニスの調子がよいときには、そんな感じではないでしょうか?
「なぜか分からないけど、ラリーが続く!」
「体が勝手に動いてくれて、ボールを打ってくれる!」
究極の集中状態である「ゾーン」「フロー」に入ったアスリートは、そのような感じでプレーしているといいます。
自力で動くというよりも、他力に動かされるのです。
とはいえ「ゾーン」「フロー」は何も、アスリートだけのものではありません。
日常生活でも、拭き掃除や草取りなど、夢中になったという経験は、だれしもあるのではないでしょうか?
すると、従事する活動のパフォーマンスが、質的にも量的にも上がるとともに、清々しい気持ちにもなりますね。
労働であったとしても、本人には、努力しているつもりもなくなります。
▶マイクロフローで「集中力の複利効果」を上げる
フロー理論を提唱した心理学者であるミハイ・チクセントミハイは、日常のこのような比較的軽度な集中状態を「マイクロフロー」と呼びました。
そして「マイクロフロー」を何度か経験すると、その繰り返しによる集中の学習効果が高まり、深く長続きする本格的な「ディープフロー」にも入りやすくなります。
ですから、掃除をするときも、メールを打つときも、水を飲むときも、集中する。
これも、「集中の利子」がさらなる集中力の増大を加速する、曽呂利新左衛門による「複利効果」にたとえられるかもしれません。
テニスのときだけ集中しようとするのではなく、日常生活を通じて「今・ここ・この瞬間」に集中する。
集中すると本人には、努力しているつもりも、なくなります。
清々しささえ感じるのです。
「仕事が乗ってきた」などというのは、「集中力が増してきた」ときではないでしょうか?
そうすると、集中するのがどんどん楽しくなります。
ますます気持ちよくなります。
集中せずにはいられなくなって、一層集中力の増大が加速する仕組みです。
その「複利効果」たるや、計り知れません。
▶「受け身」に秘められた真価
ゾーンやフロー状態にあるとき、私たちは自力ではなく、何か外部の大きな他力に動かされるような感覚を覚えると先述しました。
実際、テニスのプレーにおいては、私たちは自力で動くというよりも、動かされているのです。
え、何に!?
「ボール」に、です。
ボールが右へ来たら右へ、左へ来たら左へ、前なら前へ、後ろなら後ろへと動かされるように、自分の体を操り人形化させるのが上手くプレーするための「受け身に秘められた真価」。
野生動物が獲物を追うときですら、自分の体を操り人形化させているのでしたね。
またそうして「受け身でいいんだ」と納得すると、「ああしなきゃ」「こうすべき」などといった気負いがなくなるから、テニスがイージーモード化します。
▶流れに乗ると「アテになる」
ボールに身を委ねるのです。
自力で勝手に動こうとしない。
行き交うボールのリズムに乗って、寄せては返すラリーの波に乗るのです。
「他力」「受け身」などというと、アテにするネガティブな印象かもしれませんけれども、この世が何ひとつの例外もなく「縁起」で成立している以上、その波の流れに乗ると「アテになる」のです。
前の1球がなかったら、今の1球はないのだし、今の1球がなければ、次の1球もありません。
受けてしか、縁は起こらないのが縁起。
ですから集中力はインパクトの1コマだけではなく、飛んで来るボールにも、飛んで行くボールにも持続的に発揮されなければ、途切れてしまいます。
ぶつ切りではありません。
▶フォーム矯正は「自力」を促す指導
ところが常識的なテニス指導では、ボールはお構いなしに「腰を回す」「上から引く」「横を向け」などボールを無視して(文字どおり、見えていない)、自力で動くように促します。
これでは乗れません。
自力で勝手に、テイクバックでラケットを引く高さや大きさや方向や速度やを意識して、能動的に動こうとするから、ボールとの同調が叶わなくなります。
ラリーの波に乗れないから、1球1球がぶつ切りになります。
つながらなくなって、寄せても、返せなくなる。
フォームを気にしていると、「乗る感覚」が、どうしても出てこないのです。
すなわち、「ゾーン」にも「フロー」にも入れません。
▶他力はだれも不幸にしない
陸上競技選手がわざわざオーディエンスに手拍子を求めるのは、他人の力を借りようとする「応援」を活かしたい思いがある。
それで他人に迷惑もかけません。
むしろそれによって好記録が出るから、見ている観客もハッピー。
「他力本願」というと語弊があるかもしれませんけれども、他力はだれも不幸にしません。
自然界では、土から栄養を得て育つ植物が実を結び、それを食べた動物の排泄物がまた、植物の肥やしになります。
他力を得て循環するサステナブル(持続可能)な自然の営みです。
その流れに「乗る」。
▶プレーヤーもボールも、自力では動けないのだから
自分でできること、自力は、高が知れています。
テニスで言えば、「お助けアイテム」であるボールの力を借りるのです。
そしてボールそのものも自力で飛ぶのではなく、プレーヤーのスイングによる「他力」で打ち返されて、その役目をまっとうします。
プレーヤーもボールも、自力では動けません。
そうしたインタラクティブな自然本来の循環で、それぞれが「上手く活きる」ようにできています。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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